重なり合う二つの挫折
美しい女子高生が、ファミレスでうだつの上がら店長をつとめるおっさんに恋をする話、なのではあるが、それだけではない。
恋をすれば相手に興味を持つ。相手のことが知りたくなる。そうして、相手の人生に踏み込む。その接触が、心に秘めたものを通わせる。
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物語の序盤は、アンバランスな恋愛話である。なにせ年齢が違うのだ。おっさん店長こと近藤正己は、その状況を受け止め、うまくスルーしようと努める。そこには単なる年齢の差だけではなく、「俺なんか」という気持ちがあるのではないか。
そのことは、近藤の親友である九条ちひろが登場してから、よりはっきりとしてくる。そして、話はそこから急激に深みを帯び始める。
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九条ちひろは売れっ子の作家である。テレビにも出るし、居酒屋ではサインを求められる。その親友である近藤もまた、小説というものに、文学というものに、強く惹かれた時期があったことはすぐさま推測できる。しかし、方や売れっ子の作家で、方やしがないファミレスの店長だ。
近藤は挫折したのだ。日常に追い立てられ、ペンを置いたのだ。しかし、その別れは決して清々しいものではなかった。未練はきちんと残っている。
だからこそ、近藤は人に優しさを差し出すことができる。彼は人が挫折するということを知っているのだ。主人公の橘あきらが彼に惹かれた点はそこにあるのだろう。
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まさしく挫折に直面していた彼女は、近藤のさりげない、しかし決して弱くはない優しさに触れた。それはどれほどの救いだっただろうか。強い人間には決してさせない傘がある。そして近藤はそれがさせる人だった。
単に女子高生がおっさんに惚れた、というだけなら妄想重視の滑稽なストーリーに思えるが、上記を加味すれば了解はできる。そういうことは起こりえるかもしれない。
二人はまったく対称的な存在である。片方は若いし、片方は老いている。片方は女性で、片方は男性だし、片方は優れたランナーで友人から憧れられるくらいだが、片方は、憧れる存在が友人である。ほとんど何一つ共通点はない。挫折を経験した、ということ以外は。
アニメ版は、二人が互いに影響し合って、雨上がりの空の下、前を向いて歩き出す、と綺麗にまとめられている。もう少しドロドロしたものが掘り下げられてもよかったとは思うが、これはこれで美しい物語ではあろう。
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