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『人類はなぜ肉食をやめられないのか』(マルタ・ザラスカ)

たいへん直球なタイトルだが、原題も『Meathooked』(肉中毒)となかなか負けていない。

さて、肉だ。肉、肉、肉。食事と言えば肉である。ご馳走と言ったら肉である。鶏肉、豚肉、牛肉は、現代の食卓では当たり前のように並んでいる。では、なぜ私たちはここまで肉を食べることを好んでいるのだろうか。いや、あえていうのならば、脱肉食をした人間でも、「肉料理風」の食べ物を求めてしまうのはなぜなのだろうか。そこまで人の心を魅了する「肉」には、一体どんな秘密があるのだろうか。著者は多角的な方面から検討していく。

肉とは少し違うが、ここ最近の日本では、ウナギの絶滅を危惧する声が上がっている。たしかに憂慮すべき問題ではあるだろう。では、絶滅する可能性なんてありえない、という逆の立場の動物についてはどうだろうか。たとえば、ニワトリである。アンドリュー・ロウラーの『ニワトリ 人類を変えた大いなる鳥』によると、この地球上にはニワトリが常時200億匹以上もいるらしい。人間ひとりに対して三羽ほどの計算だ。とんでもない数である。

もちろん、それらの鳥は人間に食べられるために育てられていて、その工程はほとんど工業的である。押し込められ、ろくに動くこともできず、薬物を投入されいびつに成長させられた大量にニワトリたち。苦痛をまったくケアされることもなく、殺され、死体が「加工」されていく。タンパク質たっぷりの鶏肉が、100グラムあたり100円以下で日本全国どこでも買えてしまうのは、もちろん、そうした大量生産に依っている。豚肉にも牛肉にも似たような話はあるだろう。これはこれで、また別種の「食」に関する問題とは言えないだろうか。

さらに、中国とインドの成長により、牛肉を口にする人が増えていると言う。あの中国とインドである。その総人口からいって、一人頭でわずかに肉食量が増えただけでも、全体の消費量はとんでもないことになる。牛を育てるには飼料が必要となるし、飼料となる植物を育てるには広大な土地が必要である。結果、地球上の多くの人が満足する牛肉を口にするためには、もう一つの地球が必要となってしまう。

肉食のためのコロニーを人類が建設するのかどうかはわからないが、このまま肉の消費量が増えるとやっかいなことになるし、当然、肉の食べ過ぎは体にいろいろな問題も引き起こす。人間の食べられるものが限られていた時代に、大きな脳を持つ体を維持するためには、肉は良質のタンパク源だったのかもしれないが、今はもう昔の話だ。別に肉を食べなくても、人は生きてける。しかし、人類が明日からベジタリアンに転向するイメージは湧きにくい。なぜか。

肉には、象徴性があるからだ。力を表すイメージが肉にはある。それが肉がご馳走扱いされる理由でもある。もちろん、他にも我々が肉を口に運ぶ理由はある。それを著者は丁寧に解きほぐした上で、明日の人類に向けて、脱肉食への道筋を示している。

とは言え、別に本書は読者にベジタリアン化を勧めるような内容ではない。読了後も「よし、肉を食べない生活を送ろう」とも思ったりはしなかった。しかし、「ちょっとばかり肉を控えてもいいのかもしれない」という気持ちくらいにはなるし、必ずしも肉を食べれば健康になるわけではない(むしろ食べ過ぎは逆効果なこともある)という理解も得られる。変化の一歩としては十分ではないだろうか。

そういう意味で、本書は我々の心に巣くう〈肉神話〉を解体してくれる本なのである。

▼目次データ

はじめに: なぜ肉に魅了されるのか
第1章: 肉食動物の進化の物語
第2章: 肉が私たちを人間にした
第3章: 肉食の栄養神話
第4章: 惹きつけられる味の秘密
第5章: 肉をおいしくする方法
第6章: もっともっと欲しくなるように
第7章: 人は食べたものでできている
第8章: 菜食主義が失敗したわけ
第9章: ベジタリアンになる人、なりにくい人
第10章: 肉のタブーがある理由
第11章: 急速に肉のとりこになるアジア
第12章: 肉食と地球の未来
エピローグ: 栄養転換ステージ5へ

人類はなぜ肉食をやめられないのか: 250万年の愛と妄想のはてに
マルタ・ザラスカ 訳:小野木明恵 [インターシフト 2017]

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