僕らは過渡期の時代に生きている。
片方ではデジタルによる出版が浸透し、それに伴ってセルフパブリッシングもじわじわと熱を帯びてきている。もう片方では、年間当たりの出版点数がとんでもない数にまで膨れあがっていて、出版社の大型化も進んできている。
ぼくらの時代の本とは、そういう狭間に位置する本だ。
これからの時代で、間違いなく本は変化する。そして、本が変化すれば、著者が変化し、出版社が変化し、読者が変化する。あらゆるものが本を中心として、あるいは触媒として変化に巻き込まれていく。
もしかしたら、紙の本はクラシックな趣味にこぢんまりと落ち着くかもしれない。しかし、「本」はさまざまなものを吸収してさらに大きく成長していくだろう。その点に心配はない。
人類は、文明を発展させ、その上に文化を築いてきた。その歩みは、ほとんど常に「本」と共にあった。記録による情報の蓄積が、人類に長寿と繁栄をもたらし、それがまた情報の爆発に拍車をかける。現代はそれがもっとも顕著な形で現れているが、傾向としては長く続いてきたことでもある。私たちはその歩みを止めることはないだろう。
私たちは常に「本」を欲し、「本」を編み、「本」を残すだろう。そのような行動傾向をミームと呼ぶこともできるかもしれない。我々のその傾向が、生存競争の上で役立ったからこそ、我がもの顔で地球上を歩き回ることができているのだ。我々がそれを捨てることは、これまでの歴史を捨てることを意味する。そうした選択は、まだしばらくは訪れないだろう。
さて、これからの「本」の変化はどのようなものであろうか。電子的な本が簡単に作れるようになり、紙の本が低コストで印刷できるようになり、ネットが通じるところならどこでも販売できるようになり、小さなニッチな書店で意外な本と出会えるようになり、読者が直接著者に支援したり、中間的な作品をレビューしてブラッシュアップに貢献したり、できるようになるであろう。
そして、過渡期に生きる僕たちは、その変化に関与することができる。その特権を利用しない手はないだろう。
クレイグ・モド 翻訳:樋口武志、大原ケイ [ボイジャー 2014]