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『「超」発想法』(野口悠紀雄)

野口悠紀雄氏がまとめた発想技法についてのノウハウ書。

大きく三部で構成される。第一部では、発想の原理と原則が提示される。コアとなるのは、「アイデアとは既存のアイディアの組み換えで生じる」という、ジェームズ・ウェブ・ヤングが『アイデアのつくり方』で唱えたものと同じだ。一応五つの原則が提示されているが、重要なのはさきほどの第一原則と、「アイディアの組み換えは、頭の中で行われる」の第二原則だろう。これがのちのち効いてくる。

第二部では、発想を邪魔する要素が考察される。この辺りが、いかにも野口節な印象だ。著者からみた「間違った発想法」がことごとく攻撃されていく。「マニュアル的発想法」や「KJ法」などが無用のもの、役立たずなものと切り捨てられる。批判について頷けるところも多いが__たとえば最低限の知識をインプットすることなく有意義な発想ができるはずがない、といった点__、反論を返したい部分も多い。

たとえば、「本来は自由な精神活動であるべき発想を、定型的な手続きで行おうとするのは、本質的なところでおかしい」という点は、素直には頷けない。私たちの思考は、いくつかにまとめられるパターンを持っているので、その型を学ぶのは有用だろう。武道で師匠が提示する型を見真似るのと同じだ。すでに卓越した人間からすると、発想は「自由な精神活動」に思えるのかもしれないが、むしろそれは学ぶべきものであると私は感じる。よって、マニュアル的・パターン的な発想法は入門者には意味があるはずだ。

また、KJ法についても手厳しい攻撃があるが、多少手法についての誤解があるのではないかと感じる。著者は「KJ法は、こうした直感力を排し、可能な組み合わせを機械的に点検しおうとする」と書いているが、どうも私が理解しているKJ法とは似ていない。むしろ逆である。KJ法は、直感を活かすノウハウである。カードの中から「近しいと感じるもの」を集める態度は、どう考えても直感的な操作であろう。その操作を外部ツールの補助を用いて行っているにすぎない。

ともあれそうして論敵が持つ難点を指摘したあとで、最後の第三部では具体的なノウハウを提示して終わる。おまけ的にパソコンが持つ機動性の高さが作業進捗(アイディア生成)に役立つことが言及されているが、現代ならばそれはスマートフォンに置き換えられるだろう。なにせスマートフォンは機動性だけでなく起動性も高いのだ。

以上のようにしっかりと骨子立てて発想法について語られる一冊だ。丁寧に考察されているので、読み進めるのは易しいだろう。ただし、印象としては、すでに知的作業に従事している人向けではある。入門者向けならば、もう少しマニュアル的発想術を評価することもできるだろう。

▼目次データ:

序論 協調の時代から発想の時代へ
第1部 原理と原則
・「超」発想法の基本原則
・発想はどのように行なわれるか?
第2部 敵と陥穽
・発想の敵たち
・間違った発想法
第3部 方法と環境
・正しい発想法
・発想支援環境(1)考え続けよ
・発想支援環境(2)対話と討論
・パソコンはアイディア製造機
・創造性を支える教育と社会

「超」発想法
野口悠紀雄 [講談社 2000]

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