すこぶる分厚い新書です。なんと440ページオーバー。このボリュームで、さらに「哲学入門」というタイトル。買うしかありません。
章題を眺めてみると、いかにも「哲学」な匂いが漂ってきます。
序章 これがホントの哲学だ
第1章 意味
第2章 機能
第3章 情報
第4章 表象
第5章 目的
第6章 自由
第7章 道徳
人生の意味 ──むすびにかえて
ほぼ中身を確認せずに買ったので、おそらく第一章ではプラトンあたりが登場し、そこから歴代の哲学者の名前がずるずる出てくるのだろうと想像していました。が、その読みはきれいにハズレました。
プラトンもアリストテレスもデカルトもヘーゲルも出てきません。さらに、フッサールやハイデガーも、ニーチェやウィトゲンシュタインすらも出てきません。それで「哲学入門」できるのか……と、若干心配になります。
代わりに登場する哲学者と言えば、ダニエル・デネット、ルース・ミリカン、フレッド・ドレツキ、ダーク・ペレブームといった面々。私はデネット以外の名前は初めて知りました。ちなみに、(ドレツキ以外は)皆ご存命の哲学者です。つまり、最近の「哲学」にピントを合わせたのが本書の特徴と言えるでしょう。
著者は、有名な哲学者を列挙した入門書みたいなものは、「もういいでしょそういうのは」と太字で書いています。いかにも哲学者らしい考え方です。
※私の中には、哲学者=ひねくれ者、の図式があります。
では、ややマイナーならがも現役の哲学者の思想を取り上げて本書は何を展開していくのか。
これらの同時代人の思考を導きの糸として、ありそでなさそでやっぱりあるものの本性という哲学の中心問題にダイレクトにとりくむ、というのが本書の基本姿勢だ。
「ありそでなさそでやっぱりあるもの」の探求。それが哲学が行うことである、と著者は書いています。では、その「ありそでなさそでやっぱりあるものの」とは何でしょうか。
各章の章題になっている「意味・機能・情報・表象・目的・自由・道徳」は、概念としては存在していますが、物理世界に実体は顕現していません。しかし、物理世界に実体がないからといって、「そういうのは存在しないんです!(キリッ」といって、それらについて考えないで済むかというと、そういうわけにはいきません。だから、(少なくとも私たち人間から見れば)「ありそでなさそでやっぱりあるものの」の探求が、哲学の役割だと言うわけです。
そういうややこしい問題にとり組むのですから、本書も一筋縄で読み解ける本ではありません。第6章の「自由」までは、そうとう込み入った議論が続いていて、脳がプスプス言い始めます。しかし、続く第7章「道徳」からぐっと興味を惹かれる議題が持ち上がります。
もし、人間が「自由」でないとすれば、その世界の「道徳」はどのようなものになり得るのか。非常に面白い問題で、最近の脳科学や認知心理学との問題も関わってきます。人工知能などの登場もあり、このあたりの問題はさまざまな分野が重なるホットなポイントなのかもしれません。
著者の思想の面白いところは、「ありそでなさそでやっぱりあるもの」を探求する際に、唯物論の姿勢をキープしていることです。つまり、現にそこにあるものと、「ありそでなさそでやっぱりあるもの」を切り分けて、前者を科学の担当に、後者を哲学の担当に、と切り分けていないのです。
むしろ、現にそこにあるものから、いかにして「ありそでなさそでやっぱりあるもの」が生まれえるのか。それを探求していこうという姿勢なのです。たとえば、私たちが感じる「自由意志」や「道徳」を__神様からの授かり物であるといった説明ではなく__進化論的や脳の機能的に説明しようとしています。
その意図がどのぐらい成功しているのかは、私には判断しかねますが(なにせ一筋縄では読めない本なのです)、科学を正面から引き受ける態度は、注目に値するでしょう。
現代まで続く科学の歴史は、哲学という一つの学問から生まれた、なんて話があります。全ての学問の親が、哲学なわけです。
その点から考えれば、現代における哲学の役割は、それぞれに分化してしまった科学をつなぎ合わせるような、あるいはそこから何かしらの全体観を生み出すようなものと言えるかもしれません。
本書で語られる「哲学」は、まさにそうした役割を目指そうとしています。