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ブログと市民

「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログより引く。少し長いので二つに分けた。

(前略)私たち市民は、そして大人は、政府によって言葉を言わされているわけではない。私たち市民は、市民の言葉を大切にするがゆえに、私たちの市民が政府を作り上げる。つまり、作為の契機をもっている。だから、変革が可能な日本という政体に向けて「死ね」と言うのではなく、変革への責務を持たなければならないはずである。

私がブログを書いているのも、けして政府によって言わされているわけではない。市民はブログを通して、直接自由に声を挙げられることができる。それを実証するために、ブログを10年以上も続けてきた。

あまり表には出さないが「ブログと市民」(あるいは「市民とブログ」)は、私の切実なテーマである。なぜか。それは私がアウトサイダーだからである。少なくとも私はそう考えている。

20代の頃、私は社会から疎外されていた。あるいはそのように感じていた。問題の根っこはもっと若い頃にあるのだろうが、疎外を強く感じていたのはまさにその頃である。もしかしたら、そうした感覚は誰しもが持つのかもしない。持たないのかもしれない。どちらにせよ、それはあまり良い気分のものではないし、置かれた環境が悪ければ、簡単に人道を無視したり踏み外したりする危険がある。

いろいろなものが私を変えてきたが、その一つがブログであることは疑いない。今こうして物書きの仕事をしているのも、ブログがきっかけである。が、それはあくまで「一例」にすぎない。そうではなく、私が社会との接点を持つことができた、という点が大きいのだ。

日本という社会では、個人が社会と直接つながることは少ない。何かしらの組織あるいは共同体を介して社会とつながる。致命的なのは、そうした集団にどうしても馴染めない人間だ。彼らは、社会の不条理性ではなく、組織や共同体との馴染みの悪さによって社会へ接続する手段を失ってしまう。とりあえず、それを疎外と呼ぼう。何も知らない若い頃では、その疎外はより強く・大きく感じられてしまう。

ブログはそれとは違っている。私は組織の価値観を気にすることなく、パブリックに発言できる。私は上司のハンコをもらうことなく、パブリックに発言できる。出自や家庭も関係なければ、友人の多さも関係ない。私が、そのまま、社会とつながれるのだ。そのことの意義は、もしかしたら組織を介して安定的に社会とつながれている人にはあまり感じられないのかもしれない。

でも、きっと私のような人は今後もっと増えていくだろう。組織や共同体の弱体化は、火を見るよりも明らかで、今後回復する見込みもない。そうなったときに、きちんと「ブログ」というメディアが残っていて欲しいと感じる。私がそうであったように、ここに希望(というと大げさに聞こえるが、しかし実際それくらいの感触があったのだ)を見出せる人が出てくれば良いと感じる。

もう一度言うが、これは切実な問題であり、私と同じように感じる人も(それほど数は多くないにせよ)必ず存在するはずである。

私が思うに、ブロガーが個人として社会に向けて発言するとき、そのブロガーは市民である。少なくともそう呼びうると思う。そして、その市民こそが国を形作っていくのだ。

しかし、私には実感しかない。理論もなければ言葉もない。だからこそ、切実なテーマである。

考える生き方

ブログを10年続けて、僕が考えたこと

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