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『人文的、あまりに人文的』(山本貴光、吉川浩満)

乱読家の私は、昔から疑問があった。「人文書って何だろう」という疑問だ。無論、──他のさまざまな言葉と同様に──それを定義できなくても使うことはできる。一冊本を指して、これは明らかに人文書である(あるいは人文書ではない)と判定を下すこともできる。しかし、よくよく考えてみると、どのような性質を持って「人文書」と名指されているのかはわかっていなかった。

本書にはこうある。

「人文」とは「人の文(あや)」のこと。「人文学」と言えば、人間や人間が生み出すものを扱う学問領域を指します(詳しくは本文でお話しましょう)。この広さが捉えがたさの一因でもありそうです。

本書では人文学と対比されているのが天文学である。なるほど。この枠組みならば理解できる。天文学に代表される自然科学と、そうでない科学の線引きがそこにはあるわけだ。もちろん、人間だって「天文」の一部と言えなくもないから、その線引きはいくらでも動き得るわけだが、理解のスタートとしては申し分ない舞台設定だろう。

というわけで、本書はさまざまな人文書が紹介される。全体は20のブロックに分かれており、それぞれのブロックで二冊の人文書が取り上げられるので、計算上は40冊の本に言及することになるが、もちろんそんな計算通りに収まらないのが本である。あなたも何か一冊の本について言及してみると言い。立派な連想器官であるあなたの脳は芋づる式にあれもこれもと「関連書籍」を挙げてくれるだろう。本書も同様で、看板としては40冊のタイトルが掲げられているが本文を読めば、+αな人文書がこれでもか! これでもか! と紹介される。しかも、そのどれもが面白そうだから困ったものだ。買いたい本リストと積読本リストがますます増えていく。その苦悩もまた、読書の喜び(むしろ悦び)であることは否定できないだろう。

一応その40冊をリストアップしておく。

  • 『啓蒙思想2・0──政治・経済・生活を正気に戻すために』(ジョセフ・ヒース)
  • 『心は遺伝子の論理で決まるのか──二重過程モデルでみるヒトの合理性』(キース・E・スタノヴィッチ)
  • 『子どもは40000回質問する──あなたの人生を創る 「好奇心」 の驚くべき力』(イアン・レズリー)
  • 『思索への旅──自伝』(ロビン・G・コリングウッド)
  • 『マインド・タイム──脳と意識の時間』(ベンジャミン・リベット)
  • 『自由は進化する』(ダニエル・C・デネット)
  • 『それでも、日本人は 「戦争」 を選んだ』(加藤陽子)
  • 『神聖喜劇』(大西巨人)
  • 『エセー』(ミシェル・ド・モンテーニュ)
  • 『懐疑主義』(松枝啓至)
  • 『パンセ』(パスカル)
  • 『哲学においてマルクス主義者であること』(ルイ・アルチュセール)
  • 『人生談義』(エピクテトス)
  • 『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』(エミール・ブレイエ)
  • 『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』(青山拓央)
  • 『セカンドハンドの時代──「赤い国」を生きた人びと』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)
  • 『これからのエリック・ホッファーのために──在野研究者の生と心得』(荒木優太)★
  • 『日本国民であるために──民主主義を考える四つの問い』(互盛央)
  • 『言葉と物──人文科学の考古学』(ミシェル・フーコー)
  • 『有限性の後で──偶然性の必然性についての試論』(カンタン・メイヤスー)
  • 『アイデア大全──創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール』(読書猿)★
  • 『知的トレーニングの技術〔完全独習版〕』(花村太郎)★
  • 『社会契約論』(ルソー)
  • 『純粋理性批判』(カント)
  • 『中動態の世界──意志と責任の考古学』(國分功一郎)
  • 『勉強の哲学──来たるべきバカのために』(千葉雅也)★
  • 『そろそろ、人工知能の真実を話そう』(ジャン=ガブリエル・ガナシア)
  • 『第四の革命──情報圏が現実をつくりかえる』(ルチアーノ・フロリディ)
  • 『古代文明に刻まれた宇宙──天文考古学への招待』(ジューリオ・マリ)
  • 『マルチバース宇宙論入門──私たちはなぜ〈この宇宙〉 にいるのか』(野村泰紀)
  • 『アイデア第三七九号』「ブックデザイナー鈴木一誌の仕事」
  • 『生きるための読み書き──発展途上国のリテラシー問題』(中村雄祐)
  • 『うしろめたさの人類学』(松村圭一郎)
  • 『情動の哲学入門──価値・道徳・生きる意味』(信原幸弘)
  • 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子)
  • 『収容所のプルースト』(ジョゼフ・チャプスキ)
  • 『翻訳地帯──新しい人文学の批評パラダイムにむけて』(エミリー・アプター)
  • 『日本文学の翻訳と流通──近代世界のネットワークへ』(河野至恩、村井則子編)
  • 『知の果てへの旅』(マーカス・デュ・ソートイ)
  • 『知ってるつもり──無知の科学』(スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック)★

蛇足になるが、★が付いている書名は倉下が知的生産分野で推せる本であるので、もし40冊のリストに圧倒されるならば、その5冊から選んでみると良い。どれも良質な面白さを備えた本である。

また上のリストの中でどれか一冊でも読んで面白かったと思ったものがあるならば、本書は良質なブックガイドにもなってくれる。それぞれの本の良さを、まるでこんにゃくをスプーンでえぐりとるように、端的に示してくれるので知的好奇心がびんびん刺激されるのである。私もこの本のおかげで(≒せいで)、積読本が一気に増えた。楽しい苦悩 ++である。

さて、なぜ人文書はそんなに楽しく、また私たちを惹きつけるのだろうか。無論それは、私たちが人間であるからだ。自己にまなざしを向け、自己について考えることができるのは、人間の(あるいはそれに類する知的能力を持つ生物の)特権であろう。

さらに言えば、そうした人間には未知の領域がまだまだあり、知識が解明されている領域であっても、その知識を現実世界に実用させるにはさらなる試行錯誤が必要という点もある。その領域は未開のジャングルがまだ残されており、私たちの知的好奇心を飽きさせることがない。だから、いくら読んでも読み尽くすことはない。それだけでも、つまりそのジャンルを制覇し尽くしてしまう心配がないだけでも、人文書というジャンルは心強いと言える。

小説を読むのは楽しいし、数式と戯れるのも面白いが、それでも人文書を読むことは、独特な面白さがある。我人文書を読む、故に我人である、と。

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