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『仕事と自分を変える 「リスト」の魔法』(堀正岳)

リストの魔法とはなんだろうか。もちろん、メモに魔力が宿っているなら、リストにだって魔法の力があっても差し支えない。どちらも「記録」という、人類が手にしたもっとも根源的で巨大な力の実装に違いないからだ。

リスト──本書では箇条書きリストが含意され、それは階層構造を持つアウトラインのようなものも含む広義な実体である──は、要素を取りまとめる。情報を列挙し、構造化し、可視化し、操作可能にする。私たちが情報を扱うときの基本的な手つきがここには揃っている。

著者は、(実用書らしく)そのリストが持つ力を「スッキリ化」と「ハッキリ化」の二つにまとめた。頭の中でうねうねと動くものを書き留めることですっきりし(ワーキングメモリの解放)、そうしたものを眺めることで状況をはっきりさせる(要素の俯瞰)。この二つがリストの基本的な役割だというわけだ。

そしてこの二つは、有限化でもある。脳内にある思念は無限の可能性を持つが、それを言葉として書き留めることで情報が固着し、一定の硬さを持つことになる。可能性が制限されるのだ。さらに、リストに書き留めれられたものたちは、「ここまで」という線引きを持つことにもなる。身近な例では、デイリータスクリストがそうだろう。「今日やることだけ」を集めたリストは、それ以外の「やること」に注意を向けることを阻害してくれる。つまり、有限化である。

私たちは、情報を扱う際、なんらかの形でそこに有限化を作用させなければならない。言い換えれば、脳はとても「情報そのもの」を扱うことができないのだ。もしそんなことができても、脳は知的作用を及ぼすための余力をまったくなくしてしまうだろう。無限の可能性はそれだけ大きな穴(何もかもを吸い込んでいく)なのである。

だから私たちは、情報を書き留め、その形を固定し、リストという配列に置くことによって、それを支配しようとする。おおげさな表現だろうか。いや、私はそうは思わない。リスト作りは、支配である。あるいは領土化である。

その証拠に、ほとんどのタスク管理は「リスト作り」の話である。どんなリストをどのように作り、どう運用するのかが焦点になっている。あるいはそれこそがノウハウの中心になっている。管理という行為にとって、リストは欠かせないのだ。つまり、リストというのは、私たちが情報を支配下に置こうとするとき、作成される網なのだ(実際はツリー構造だが)。

ここにリスト作りの面白さがある。なんといっても、情報はそんなに大人しいものではないからだ。釣り上げた魚がピチピチと跳ねるように、あるいは漁師に噛み付くように、それはダイナミズムを有している。情報は、リストを──あるいはその構造を──破壊する力を秘めている。

だからリストは一度作って終わり、というわけにはいかない。情報のダイナミズムに合わせて、ときに書き足し、ときに書き直し、ときにまったく一から作り直すことが求められる。この点は、『アウトライン・プロセッシング入門』で語られるシェイクと視点を同じくするだろう。リストは書き留めるためのツールであり、書き直すためのツールでもあるのだ。その点が、単純なメモとは違っている。

それにしても「リストの魔法」である。著者はれっきとした理学博士であるが、その著者が「魔法」を語るとは実に皮肉な話だ。しかし、世の中には魔法と呼ぶにふさわしい力があることもたしかである。ノートであれ、手帳であれ、日記であれ、メモであれ、私たちが書き留める情報が、私たち自身に作用する力はまさにそうした力の一つであろう。

仕事と自分を変える 「リスト」の魔法
堀正岳 [KADOKAWA 2020]

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