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『人類進化の謎を解き明かす』(ロビン・ダンバー)

著者のロビン・ダンバーはイギリスの人類学者で、「一人の人間が、安定した関係を保てるのは平均約150人」というダンパー数で有名である。

その著者が、本書でメスを入れる対象は「社会」あるいは「人類」だ。「人類であるとはどういうことなのか?」__この問いを、人類(現生人類)と似たアウストラロピテクス、初期ホモ属、旧人の移行において何が重要な役割を果たしたのかをさまざまなモデルを使い読み解きながら、紐解いていく。いささか難しい話も多いが、著者の視点は非常に興味深い。


類人猿と現生人類の本質的な違いとはなんだろうか。直立二足歩行? 道具を作りそれを器用に操ること?

著者はずばりそれを、「認知」にあるとする。私たちの頭の中で行えることが、大型類人猿と人類を分けているのだ。たしかに我々は腹の足しにならない文学や芸術を生み出した。歌う動物はいても、自らの物語や栄光に満ちた神を語る動物いない(そして、これは今のところAIと真なるAIの違いでもあろう)。物語と宗教は、人類特有の文化なのだ。

問題があるとすれば、なぜそのような能力が人類に芽生えたのか、という点だ。たまたま偶然という答えはありうるが、それを行える程度の脳の大きさは必要であろうし、またその能力が生存において有利に働かない限り、淘汰圧はその突然変異を見逃してはくれない。

著者はそこに時間収支モデルと社会脳仮説を導入する。

ここから話は込み入ってくるのだが、考え方自体はシンプルである。社会は人間関係によって成立する。人間関係を維持するためにはコストが必要(たとえば、猿の毛繕い)。社会が大きくなれば、維持しなければならない人間関係の数も増える。しかし、一日の時間は限られている。では、どうするか。

高効率なコミュニケーション手法と、人間関係を維持するツールがあればよい。そうであれば、限られた時間でも環の広い人間関係を維持できる。

それが言葉であり、音楽であり、笑いであり、物語であり、宗教である。そこにお酒や祝祭も加わる。これらは、一回につき一人としか関係性を深められない「毛繕い」と違い、同時に複数人にアクセスできる。それが集団の規模を向上させることは想像に難くない。

考えてみれば、これはごく当たり前の話だろう。人を同じ場所に集めれば、それだけで「集団」ができるわけでもないし、「社会」ができるわけでもない。よしんばそれができたとしても、その関係性が長期にわたって続く保証はどこにもない。

私たちは、経済合理性で動くエージェントではないわけで、「集団になれば合理的だから、集団になろう」みたいなことは自然には決して起こりえない。広い意味での「絆」を生み出すものが必要なのだ。

本書は、「人類」の出発点を、その過去を遡ることで明らかにしようとしているわけだが、私はむしろその線を未来に延ばしたときどうなるのか、ということが気になった。

たくさんの人々が参画するネット上でも、やはり人の集まりは生まれている。しかし、長く続くものもあれば、そうでないものもある。その差を分けるものは、実は本書が提示しているような要素ではないだろうか。

さすがにここ50年程度で、私たちがDNA的に次の段階に移行することはないだろう。しかし、高効率なコミュニケーション手法と人間関係を維持するツールは、いくらでもバージョンアップ可能である。この視点こそが、Webを本当の意味で次の段階に進めるものとなるのかもしれない。

人類進化の謎を解き明かす
ロビン・ダンバー [インターシフト 2016]

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