ただ、この作品については、三菱銀行人質事件と日本航空123便墜落事故の同時代的経験は決定的かという思いは強く残った。表層的にも三菱銀行人質事件は比喩として意識されていたが、なにより鹿矛囲桐斗がシビュラに向ける銃の複数性にはその関連があった。日航事故についてはいわゆる御巣鷹の謎に関連する。
個人的に『PSYCHO-PASS』シリーズは大好きで、もし『魔法少女まどか☆マギカ』が同年代に存在しなかったのならば、私の中で2010年代最高のアニメとなっていた作品である。
※言うまでもなく、どちらの脚本にも虚淵玄が関わっている。
が、それはそれとして『PSYCHO-PASS サイコパス 2』の評価は私の中ではさほど高くなかった。単にファーストシーズンの評価が高すぎることも影響しているとは思うが、全体的にアニメ作品として楽しめる度合いは低かったように思う。それでも、扱っているテーマに関しては飛び抜けている、という点は上に引いた記事に同意する。
そこで、記事で指摘されている「三菱銀行人質事件と日本航空123便墜落事故の同時代的経験」について思いを馳せる。
まず、日本航空123便墜落事故で、これは1985年に起きている。私は1980年生まれなので、5歳のときの事件だ。ちょうど物心ラインなので、私の中にも記憶はあるのかもしれない。この名称は知らなかったが、『日航ジャンボ機墜落事故』という呼び方なら記憶の線に触れる何かの感触はある。つまり、この事故は私にとっての現実(感覚)に属している。
対して「三菱銀行人質事件」は1979年であり、−1歳のときの事件だ。上の記事で名前を見るまで、私はこの事件のことを知らなかった。Wikipediaを覗いてみて、呆然とした。どこにもいかない(いけない)狂気がそこにあった。それと共に、興味深い記述を見つけた。
戦後日本の人質事件が犯人射殺という形で解決した例は、1970年の瀬戸内シージャック事件、1977年の長崎バスジャック事件とこの事件の3例だけであり、本事件以降は現在まで存在しない。
つまり、私がこの世に生まれ落ちてから、上記のような事件は一切発生していない。つまり、私の人生には、いや、別の言い方をすれば、私の中の「日本社会」には上記のような(つまり射殺せざるを得ないような)事件は発生していないのだ。だからこそ、現実(感覚)は寄り添わない。だからだろう。私が作品中の立てこもりを見たときに、いかにも虚構__つまり、作られた物語__という風にしか感じなかった。
とってつけたような、という意味ではない。現実のメタファーとしてはまったく受け取れないまま、ただ(よくある)物語として消化されていったということだ。しかし、それが(よくある)物語であるのは、三菱銀行人質事件を下敷きにした作品がたくさんあるということでもある。私はそれをただ虚構的に受け取っていた、ということだ。
知らない、ということはそういうことなのだ。
さすがに日本の歴史に疎い私でも、『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』でビルの上で檄文を飛ばし、互いに斬り合って自殺するというシーンを見れば、ああ、これは三島由紀夫なんだなと分かるし、パトリック・シルベストル≒三島由紀夫の図式も想像できる。それは現実感を持たない知識でしかないが、それがリアルであることを私は認識している。「三菱銀行人質事件」はそうではなかった、ということだ。
おそらくそのようにしてある種の狂気は、社会から疎外されていくのだろう。それを引き戻すのが、作品の役割ということは言えるのかもしれない。
というわけで、Wikipedaの「三菱銀行人質事件」を読んだ私としては、もう一度『PSYCHO-PASS サイコパス 2』を一通り見直してみようと思う。それで何が変わるのか、あるいは何も変わらないのかはわからないが。