これまでたくさんの本を紹介してきたが、これほど扱いが難しい本もなかなかない。
内容が難解だからではない。むしろ、すっと心に染み込んでくるような感覚がある。だからこそ、扱いづらいのだ。気がついたらその内容を受け取ってしまっている。分析のはるか手前で、内容との出会いがある。
本書の帯には「新感覚の”読むセラピー”」とある。セラピーを要約してもほとんど意味がないように、本書も内容の要約にはたいした意味がない。世の中には、時間をかけないと意味がないものがあるし、もっと言えば、その時間を使って自分自身で頭をひねらないといけないものもある。自分の人生にかかわる問題は、すべてそうした問題である。
だから私は本書を手に取ったとき、少し危機感を覚えていた。「7つの補助線」という表現が目に留まったからだ。本書は、心とつきあうための方法を「7つの補助線」という形で紹介してくれるという。いかにもプアーな自己啓発書が好む手口である。扱いが難しいものを、あたかも簡単であるかのように装って読者の扉を叩く本。
そうした手合いの弊害は、結局のところ解くべき問題が難しいという点はどうやっても動かせない、という事実にある。「難しい問題を解く」という状況は、どれだけレトリックを用いても簡単にならない。簡単にしてしまったら、それは対峙すべき問題とは別物になってしまうからだ。
この本もそんな手つきなのだろうかと思いつつ、『心はどこへ消えた?』であれほど繊細な手つきを見せてくれた著者ならばおそらくは大丈夫であろうと読み進めてみたら、その心配は杞憂であることがわかった。というか、それ以上の本だということが少しずつわかってきた。
本書はたしかに「7つの補助線」を用いて、心(あるいは人生)という難問と向き合うためのアドバイスを提示してくれる。
- 処方箋と補助線
- 馬とジョッキー
- 働くことと愛すること
- シェアとナイショ
- スッキリとモヤモヤ
- ポジティブとネガティブ
- 純粋と不純
こうした補助線を引くことで、私たちはスッキリができる。そして、どちらか一方を(もちろん、優れた方を)選び取ることで、より良い人生を生きることができる。めでたし、めでたし、となっていないのが本書の白眉である。
上記の処方箋が具体的にどういうものなのかは本書を直接当たって欲しい。ここで概要を述べてもほとんど意味がないのは先に述べた通りだ。ただ、考えたいのは「補助線」という言葉である。
図形問題を解くときによく用いられる補助線は、もともとの図形に何も手を加えることがない。切り取ったり、角をまるめたり、といった「加工」をしない。ただ線を引いて、捉えやすい問題に分けることをするだけだ。困難は分割せよ。
補助線を引いて、個別に分けた問題を解いたとしても、補助線を取り除けば相変わらずその図形はそのままそこに残っている。複雑な図形の問題が。
私たちの認知は「分ける」ことで成立している。科学もどんどん還元的に進んできた。それは私たちの知性のうまい活かし方なのだろう。一方で、「心」という現象はどれだけ細かく分けても、結局は一つの大きなものである。心に線を引いたとしても、それで心が二分されるわけではない。単に、個別に認識できるようになるだけだ。そこにある複雑さは何も変わらない。
高速で回転する心が灰色に見えるとき、それを一時的にとめたら白の領域と黒の領域が見えてくるかもしれない。そして、それぞれの領域の働きも分析できるだろう。一方で、そのどちらかを消すことが正しいわけではないのだ。やっぱり心は灰色であり、そこには白領域と黒領域がある、ということを理解することが、私たちが心と向き合うときに必要な姿勢であろう。
本書はその姿勢を決して外さない。全体を通して「わかりやすい」話が進められるが、最後の最後で一気に全体がひっくり返される。そのプロセスを通過することで、私たちは「わかりやすさ」の先にたどり着くことができる。だからこそ、本書は要約しても意味がないのだ。
ぜひともそのプロセスを読者各位が体験して欲しい。ちょっとびっくりするくらいよい本である。