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メルマガを300号も続けるコツ

のきばトーク第十回が放送されました。

今回は最近リニューアルしたばかりのWRMがテーマでした。私が運営している有料メルマガです。

WRM
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で、そのメルマガは300号も続いているのですが__週一回配信なので、300週ということになります。52で割ってください__、そのメルマガを「続けるため」のコツみたいなものを書いてみます。

以下の四つです。

  • 「好きなことを書く」
  • 「テーマ設定で無理をしない」
  • 「読者さんの感想を大切にする」
  • 「意地」

「好きなことを書く」

「好きなことを書く」とは、Web界隈ではよく言われている話なのですが、もう少し掘り下げてみましょう。

まず、「嫌いなこと」について延々と書き続けるのは難しいでしょう。仮にできたとしても精神が変な方向に進んでしまいそうです。

また、「興味も関心もないこと」について書き続けるのも同様に難しいものがあります。そうしたものをメルマガの中心に据えると、「書かなければ」というモチベーションの設定が必要です。300週も松岡修造さんに応援されているわけにはいきません(そもそも、馴致が発生するでしょう)。

逆に言えば、「日常的についつい考えていること」とか「日頃うっかり考えてしまうこと」を中心にすれば、それほど苦は無くなります。私であれば、本を読んだり、文章を書いたりすることがその一つですし、経済ニュースやらゲーム周りの話もそうです。もちろん、マーケティングも「ついつい」考えます。

こうしたものであれば、続けていくことの敷居は随分下がります。

「テーマ設定で無理をしない」

上記と関連する話です。

たとえば、そのとき何かが流行っているとして(アドラー心理学? ポケモンGO?)、そうした話題をテーマにすれば、「客集め」には貢献するでしょうが、そもそも自分にそれに対する関心がなければ、かなり無理して「取材」しなければなりません。となると、それをペイしなければ成り立たないので、(金銭的・心理的な)損益分岐点はぐっと上がります。

また、「最新アプリの情報を」とか「最新ガジェットを徹底解剖」というのも、売り文句としては上質ですが、それを300週も続けていけるかはかなり微妙なところです。最初は、「興味があるから調べて書く」だったのが「書くために仕方なく買って調べる」みたいなことになりかねません。そうなると、損益分岐点の上昇が待っています。

世間的な「受けるネタ」は、だいたい「消費されるネタ」「流行のネタ」であり、長期的なコミットメントはあまり考慮されていません。そこに流されないようにしておく心がけは必要でしょう。

「読者さんの感想を大切にする」

さらに上記二つに関係するお話です。補完関係にあると言っても良いでしょう。

自分の好きなことを書く、自分に無理のないテーマを設定する。続けていくためにはそうしたことが必要ですが、そればかりだと閉塞感があります。そもそも、そうして書いたことが読者さんに受け入れてもらえなければ、メルマガの存在意義などほとんどありません。有料メルマガなら読者数も減少するでしょう。受け手がいて、送り手は在り続けられるのです。

「面白かった」という感想を頂けたら、進む方向は間違っていないことがわかりますし、またその方向を強化していくこともできるでしょう。「面白くなかった」という感想を頂けたら、方向の修正や書き方の変更を検討できます。

別に、その感想に唯々諾々とする必要はありません。「考える材料」「判断する材料」にすればいいのです。頂いた感想について、真剣に考える。その上で、自分の判断で方向性を選択する。そのように進んでいけば、「大きく間違う」ことは少なくなるはずです。

私の場合は、常に「こういうことを書いてください」というご意見も募集しています。それによって、「なるほど、そういうコンテンツに需要があるのか」という発掘が行えるからです。それは閉塞感にはまり込まないスコップとして機能してくれます。

また、感想を頂けることは、単純に自分が何か意義あることをやっている充実感にもつながります。ある種の行為を続けていくためには必要な感覚です。

「意地」

とは言え。

どれだけ心理的な敷居を低くしたところで、人間万事問題発生です。予測し得ないようなトラブルが一度や二度は必ず発生します。

非常に残念ながら、それは意地で乗り切るしかありません。「意地」で「維持」するのです。

これはもうノウハウでもコツでもありませんね。矜恃とかそういうレベルの話です。ある意味で泥臭い話であり、ぎりぎりまで根性論に踵を寄せてしまっています。でも、3%ぐらいはそういうのは出てきてしまうものでしょう。それを許容しないシステムは、むしろ脆くなってしまいます。

もちろん、それが100%だとそれはそれで続けられません。せいぜい3%ぐらいが許容範囲でしょう。

さいごに

別に続けたからと言って、それが偉大さの証明になるわけではありません。ときに愚かさの証明になることすらあります。

それでも、続けることで得られるノウハウもありますし、続けないと見えない風景というのもあります。それに、旗は立てるのではなく、振り続けることに意味があるものです。私はそのことを体験として、体感として知りました。

ローマは一日にしてならず。

それは都市としての完成ではなく、文化としての成熟もまた意味しています。

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