グレッグ・イーガンには、興味と少しばかりの恐怖心を持っていた。
イーガンは、『バーナード嬢曰く。』でも言及されている。SF好きの神林が「実はみんなよくわからないまま読んでいる、かもしれない」などと言っていて、それが__一部の偏った文章愛読者の皆さんならご理解されるように__私の心を引きつけていた。なにそれ、読みたい。
でも、長編を複数出している作家には注意して近寄らなければいけない。でないと、一週間ぶっ続けで、ときには一ヶ月を通してその作家を読み漁りかねない。しかも現代にはKindleという魔法の箱がある。望めばまだ読んでいない長編をすぐさま取り出せる恐ろしい箱だ。
そんなこんなで、イーガンの作品は横目でちらちら見つつも、結局は手に取らないままで人生を過ごしてきた。そう、本書のことを知るまでは。
なんとなく長編作家のイメージがあったイーガンの短編集だと言う。小飼弾さんが以下のようなツイートをしていてその存在を知った。
TAP (グレッグ・イーガン;河出文庫 イ 2-1) 出版社より献本御礼。河出とイーガンという組み合わせにびっくり。イーガンらしからぬ(?)読みやすさに二度びっくり。「はじめてのイーガン」に最適なのは間違いなし https://t.co/5elTPjkVYS
— Dan Kogai (@dankogai) 2016年6月7日
私のような横目ちらちら人間にとって「はじめてのイーガンに最適」ほど強力な宣伝文句があるだろうか。結局すぐに買ってしまった。
しばらくは、未読本棚においてまたちらちらしていたのだが、先日ふと手にとって読んでみると、これが抜群に面白い。頭をズキューンと打ち抜かれてしまった。SFというよりも奇抜な小説が大半である。それぞれの作品が、現代的、あるいは未来的な社会の問題を布地の裏に織り込みながら、不可解な物語を作り上げていく。
弾さんが「イーガンらしからぬ(?)」と言われるのも理解できた。収録作にはところどころSF的アクロバットが登場するのだが、長編ではそれがゴリゴリに押し出されるのだろう。それはまあ、とんでもなくハードなSFになるに違いない。
というわけで、今の私は「二歩目のイーガン」を探している。なんだかんだで、全作読みそうな気はしているが。