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『対話をデザインする』(細川英雄)

本書によれば、対話とはおしゃべりの交換ではない。

ここでいう「おしゃべり」とは、相手に話しているように見えながら、実際は、相手のことを考えない活動だからです。少し難しくいうと他者不在の言語活動なのです。

どういうことだろうか。

(前略)、何かの答えや返事を求めて話しているのではなく、ただ自分の知っている情報を独りよがりに話しているだけではないでしょうか。

たしかに、そのような言葉のやりとりはある。というか、やりとりさえされていない。一方通行が二重に重なっているだけ。ブログ記事などでも、たまに見かけるタイプだ。ここでは、結城浩さんが言う〈読者のことを考える〉の原理はまったく機能していない。ただただ、言いたいことを、言いたいように言ってお終い。それだけだ。

それによって、スッキリしてお互いに満足して終わる、という効果は「おしゃべり」特有のものだろうし、いちいちそれを否定しても仕方がない。ただ、対話という活動はそれとは異なる、という点は抑えておきたい。

対話には、必ず他者がいる。その他者との情報の、もっと言えば意見のやりとりこそが対話なのである。

そう考えると、対話には広い関係性が関わっていることがわかる。

相手との対話は、他者としての異なる価値観を受け止めることと同時に、コミュニティとしての社会の複数性、複雑さをともに引き受けることにつながります。

これは『アイデンティティが人を殺す』で示されていることの、そっくり裏返しである。対話の拒絶は、その人が属するコミュニティーの拒絶、あるいは単純化と等しい。そこからの脱却が対話なのだとしたら、今の日本社会が切実に必要としている──つまりは現状は欠如している──ものが対話なのだと言えるだろう。

それだけではない。対話を行うためには、それぞれが自分の考えを表明する必要がある。「はい」「うん」「そうですね」と片方が頷いているだけでは、傾聴ではあっても対話ではないだろう。異なる価値観を持ち、異なる考えを持つ二つ以上の存在が、意見を交じり合わせることこそ対話の醍醐味である。だから、対話には意見が必要だ。著者はそれを「テーマ」と呼ぶ。

ここで、対話はもう一段ディープな世界へと入り込むことになる。

あなたの考えを誰かに伝えようと思えば、どうすればその意見が伝わりやすいかを考える前に、自分の考えとは何かを見極めなければならない。それは心の奥底にあって、発見されるのをまっているような先駆的なものではなく、むしろ自分とは異なる存在である他者に向けて表明しようと四苦八苦していく中で見出されていく類のものであろう。そして、そのような見出され方をする限りにおいて、その意見は必ず他者との関係性を帯びることになる。他者におもねる、というのではない。自分の考えを固めていくときに、そうでない考えを持つ人のことを検討するようになるのだ。

対話を試みようとすることによって、あるいは実際の対話の中で、自分の「テーマ」はよりはっきりとした輪郭線を帯びてくる。他者とは違う、しかし何かしらつながりのある自分の「テーマ」。個人が独善的に意見を持てば、それは諍いの契機にしかなりえないが、しかし対話しようと試みる中で立ち上がるテーマは、それとは異なった性質を帯びる。そこに新たな公共性の萌芽を見てとることも可能かもしれない。

しかし、世の中のテクノロジー(と消費産業)はどうやらその力を「おしゃべり」の拡大に注力しているようである。使い方次第で、深く持続的な対話を促すことも可能なテクノロジーは、むしろ浅く刹那的な「おしゃべり」を拡大し、いっそのこと対立の溝を深めようとやっきになっているようにも見える。その方が、物が売れ、広告が潤うからだろう。じっくりとした対話からでは、生まれようのない利益だ。

もし可能であるならば、私たちは「対話」というものを軸に、情報技術を見直すべきであろう。求められているのは高度な議論ではなく、精緻な意見ですらない。相手がいて、自分がいて、そこに場が生まれ、その中で行われるやりとり。情報の見せ方しだいで、私たちの消費意欲を刺激できるなら、そのベクトルを逆にすれば対話が生まれるプラットフォームも設計できるのではないか。そのような希望を持つことは、あまりに人間を性善に捉えすぎているのだろうか。私はそうは思わない。

じっくりとした対話は、とても心地よいものである。そこには間違いなく快がある。その快は、一方的にまくし立てることで得られるような満足感とは異なっているが、たしかに自分がその場にコミットしている感覚がある。その感覚に引きつけられることは、性善とはまったく別に成立する事柄だろう。

そこでどのようなやりとりが行われるかまではデザインできないにしても(それはひどいパターナリズムである)、お試し的であっても、そういう場に参加できる経験は促せるであろうし、それで十分な力を持つのではないか。

対話をデザインする ──伝わるとはどういうことか (ちくま新書)
細川英雄 [筑摩書房 2019]

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