『公正的戦闘規範』は、SF作家藤井太洋さんの初の短編集で、SFマガジン誌や『伊藤計画トリビュート』などに掲載された短編が5編収録されています。
藤井さんと言えば、『Gene Mapper -full build-』や『オービタル・クラウド』など、現代との地続き感を保ちながら、新しい技術に依る新しい世界を描き上げ、しかし安易なディストピアに陥ることなく、その世界での新しい希望を提示するよな稀有な作品を提出されてきたわけですが、本書に収められた作品群も通奏低音は同じです。
収録作をそれぞれみていきましょう。
「コラボレーション」は、SFマガジン誌に掲載された作品で、『Gene Mapper -full build-』と同じ世界の、その数年前が物語の舞台です。PHPやGitのコマンドが文中に登場する面白い作品で──出版業界では数式が登場すると本の売上げが一割はさがるという都市伝説がありますが、ソースコードはどうなのでしょうね──、ポイントは何と何がコラボレーションするのか、にあります。シンギュラリティ論では、AIが人の上に立つことになり、アンチ・シンギュラリティ論では、人がAIを駆使する、という構図になるわけですが、本作は「そうではないのではないか」という視点を提示しています。コラボレーションとは、同列の存在が手を繋ぐことであり、その意味で、チューリングテストについて再考することを本作は要求します。我がそれを彼と見れば、それは彼となる。
「常夏の夜」は、『楽園追放 rewired サイバーパンクSF傑作選』に収録された作品で、全体を通してのテーマは、量子コンピューティングと人類の知の関係性なのだとは思いますが、それはともかく主人公とカートが広場を突っ切ろうとするシーンは、ああやられた、という感触で一杯になりました。もし、ワーカムにフリーズ・クランチ法が組み込まれたら、どうなるんでしょうね。気になります。
「公正的戦闘規範」は、『伊藤計劃トリビュート』に収録された作品で、表題作に相応しい重厚な物語です。このテーマをその切り口で扱うか、と驚きもあったのですが、それ以上に、複雑になりすぎる問題を、いっそシンプルな制約のもとに置いてしまいましょう、という発想が素晴らしいですね。ゲームのレイヤーの下にあるものに気がつかずに人々が残虐なことをやってしまう、というある種の現実ロンダリングは、『マージナルオペレーション』の一巻や、『PSYCHO-PASS』の第二期(第六話「禁じられない遊び」)でも扱われていて、人間と世界の間にレイヤーが挟まった瞬間から、あとはそれをいくらでも増やしたり置き換えたりができるようになります。私たちが人間認証のために「画像に表示された文字を入力」していることが解析向上に役立つのならば、別のある種の行為が、ぜんぜん違うところで悪用されている、とういことは十分起こりうるわけです。
「第二内線」は、分断されたアメリカを描いた作品で、読んでいると、現在のアメリカのことが常に頭に浮かんできてしまいます。
『──損失を恐れるな。アメリカを創るのはおれたちだ。今日より明日を見ろ! お高くとまっている連中に今日こそひと泡吹かせるんだ!』
どこかの大統領の演説みたいですね。そのリアルさが、笑いを誘いつつも、不気味さを浮かび上がらせます。
「軌道の環」は、収録作中一番静かで、もの悲しく、壮大なお話です。きちんと最後には新しいタイプの希望が語られるのですが、それとは別に、ポスト地球圏時代の宗教という観点からも面白いお話でした。もし人類が地球外に進出しても、そこでの生活がユートピアでないのなら、人々は宗教を持ち続けるでしょう(それが宗教という発明の役割なわけですから)。そのときの宗教の形はどのようなものになるのか。これはグローバリズムが進む世界での宗教問題よりも、さらに先の話ではありますが、たとえば地球と木星の宗教の違いなどという観点は学術的にも面白そうです。
藤井作品の面白さは、三つの要素の重ねあわせとして理解できるかもしれません。現代との地続き感、掲げられる希望(あるいは意志)、そしてオープンマインド。この三つです。藤井作品は、日本に閉じていませんし、古い技術や慣習にも閉じていません。「人類」の定義すら、開かれています。だからこそ、私はそこにワクワクを感じるのでしょう。