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碇をあげよ

『ベストセラー小説の書き方』の中で、著者のクーンツは次のように述べる。

ベストセラー小説の書き方 (朝日文庫)
ディーン・R. クーンツ [朝日新聞社 1996]

 成功の秘訣? それは単純なことである。作家はおのおの自分のやり方を探り当てなければならないということなのだ。小説は共同で作りあげられるものではない。数学や物理、それにジャーナリズムでさえ、ある程度までは学校や教科書で学ぶことができる。しかし、小説については無理である。よい先生なら、小説の形式や構成について有益な説明をあたえてくれよう。が、小説は形式以上のものだ。心を持ち、ひとりの人間の個性がはっきりと刻印されているべきものなのである。

形式や構成についての知識は大いに結構。学べば助力となってくれるだろう。しかし、助力はあくまで助力だ。最終的には、自分の足で歩いていかなければならない。ときにはかきむしるほど表現について考え、自分で決断しなければならない。それがまさに小説を書く、ということなのだ。

どうすればひとりの人間の個性が刻印できるのか。

考えることだ。頭の悩ませることだ。この一文でいいのか、この表現でいいのか、この流れでいいのか。それを考えることだ。その一つひとつの選択と決断が、結果的にあなたの個性となって作品に刻まれる。あなたが書く作品は、個性的な文体を無理矢理用いなくても、どうしようもなくあなたの作品となる。保証していい。あなたが読者に向けて物語を研ぎ澄まそうとすればするほど、その手つきが作品に刻まれていくのだ。

フォーマットやテンプレートだけで凛と立つ小説を書くことはできない。作品を完成させることはいくらでもできるだろうが、それだけだ。竜の目は点を欠いたままとなる。

サマセット・モームも似たようなことを言う。

There are three rules for writing a novel. Unfortunately, no one knows what they are.

もし皆がその3つの方法を知っていて、それに従って書いていたら、世界中の小説は無味無臭となるだろう。優等生のための優等生な小説。誰の心にも、何も刻まない物語。それでいいと言うなら、結構だ。小説を書くことなんて面倒なことに関わっていないで別のことをした方がいい。

小説を書くことは表現することだ。表現するということは、まだ誰も言っていないことを言うことだ。どうしてそれがテンプレートだけで事足りようか。

私はテンプレートを否定しているわけではない。テンプレートだけで事足りるのか、と問うているのだ。その器は、あなたの言いたいことをちょうど満たす形をしているのか。もし、そうなら、別に新しいことを言いたいわけではない、ということだ。それでいいと言うなら、結構だ。別に誰にも害はない。

もう一度言うが、まだ書かれていない小説の書き方など誰も知らない。知らないからこそ、あなたが書くのだ。つまりそれは冒険である。文法、語彙、比喩、構成といったさまざまな知識は、その冒険を助けてくれるだろう。

あとは、碇を上げるかどうかだ。

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