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今だから読みたい新書3冊 #本好きが相互に勧める新書3冊

ハッシュタグ企画に乗ってみる第二弾。知的生産系を抜きにして、読書好きな人間としてお勧めしたい新書を三冊上げてみる。

『日本の思想』(丸山真男)

私の中で『知的生産の技術』と対をなす岩波新書ベストな一冊がこれだ。

正直わかりやすいとは言い難い。現代風の「やさしい本」に慣れているとひるむような記述も出てくるだろう。が、たしかに本書は面白いし、本書が指摘する内容はまるっきり現代までに引き継がれており、しかもインターネットによって強化されてすらある。

おそらくであるが、もともとある程度の共通基盤があった欧米と河合隼雄が指摘した中空構造の日本では、ポストトゥルース的なものの現れ方やその作用も異なるであろう。欧米の方ばかり向いていてはいけない、ということである。実際日本では、主義主張などとはまったく無縁に、しかしそれが口実として他人を攻撃する手段として無自覚に使われている風景が珍しくない。当然そのような現象に、真正面から主義主張で反論してものれんに腕押しであろう。

そのような差異を捉まえるためにも、改めて「日本の思想」とはどのようなものかを散策しておくことには意義があるだろう。

『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方』(山岸俊男)

日本のムラ社会では、どのような構造で他者との関係性が構築されているかを他国と比較して論じてある本だ。これも実に示唆深い。

ムラ社会では、いちいち個別に他人を疑うことをしない。村の人間はすべて「顔」見知りであり、信頼するかどうかは検討されない。ある意味で、コミュニケーションのためのコストが低いとは言える。しかし、ムラの外の人間には疑い深く、あるいは壁を築いて中には入れないようにする。また、一度「ムラ」に入った人間が豹変したときの抑止力がない。それ以上に、一人の人間が、「他者が信頼できるか」の指標を持たないで暮らしている。だからムラから外に出たときに、ただただ信用するか、まったく疑うかの極端なアプローチしか取れない。つまり、言語以上に、信頼=コミュニケーションの在り方が異なっているのだ。

これから日本が、インターネット=グローバル=外に向けて開いていこうとするならば(あるいは否応無しに外に出ざるを得ないなら)、そうしたムラ型のコミュニケーションだけではまったくの不足で、個々人が他者を信頼できるかどうかを判断できるスキルを身に付けなければいけないだろう。でもって、そのスキルは「議論」や「対話」を可能にする力に通じている。ムラ型では、他者と議論ができないのだ(ヨソモノには追従か論破しかない)。

自分のやり方=日本のやり方には素晴らしい面もあるわけだが、当然足りないものもある。そのあたりを自覚して、自分でその穴を埋めていくことが必要だろう。

『学びとは何か――〈探究人〉になるために』(今井むつみ)

2021年から2022年にかけて『独学大全』という本が人気だが、これは「社会が制度として与えている学びでは、これからの社会では十分ではないのではないか」という危惧が関係しているのではないか。ここまで書いてきたことも踏まえて、私たちは知識の暗記とは違った形で「学ぶ」ことをやっていかなければならない。本書はそのメカニズムを提示してくれる。

大切なのは、「生きた知識」や「使える知識」は、一つ一つ知識というブロックを積み足していくようなアプローチで獲得していくものではない、という指摘だ。試験の解答なら、そうした知識ブロックの加算でよいのかもしれないが、それ以外の場面ではそういう「一問一答」はほとんど役に立たない。知識は、他の知識と関連したときにより「深く」理解され、実際に使えるようになる。また、その知識のつながり(ネットワーク)は常に変動するという動的さを持っている。

このような見方に立つだけで、既存の「勉強感」は一新されるだろう。『勉強の哲学』が述べるように、勉強とは変身であり、(自己が含まれる)ネットワークの破壊と再構築なのである。

知識を増やすだけでなく、物の見方を変えること。そこで役立つのは知識好奇心という前に延びたアンテナであり、それがドライブする知識獲得のエンジンである。私たちは子供のころ、貪欲に学ぶ。そして、世界が安定し始めるとその手を止める。しかし、新たな変化が世界に生まれるとき、私たちは再び学び始める。

それが現代という時代ではないか。そして、その学ぶ道において新書はとても有用である。

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