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僕だけがいない街 Another Record(一 肇)

物語に深みを与えるのはなんといっても悪役の存在である。

悪役が抱える闇が深ければ深いほど、正義のヒーローはその輝きを増す。影をつければ立体感が生まれるのと同じだ。彼らは物語に薄暗い影を与えてくれる。

あるいはもっと単純なことなのかもしれない。私たちは悪に惹かれるのだ。一体、レクター博士に魅力を感じない人がいるだろうか。シャーロック・ホームズシリーズのモリアーティ教授しかりだ。彼らは、僕たちの心を掴んで離さない。

怖いもの見たさだろうか。それとも、認めたくない共感をそこに覚えるからだろうか。

彼らは純粋たる悪でなければならないが、かといって狂人であってはならない。無意味な言葉を泣き叫び、欲望のままに暴れ回る存在は、魅力的な悪役にはふさわしくない。彼らは彼らなり理(ことわり)を持ち、計算する。ときには志や矜恃すらあったりする。それは結局のところ、人間性の裏返しでもあるのだ。

僕たちは、うっすらとその存在に気がついている。だからこそ見ずにはいられない。

本書は漫画『僕だけがいない街』シリーズのスピンオフであり、ほとんど間違いなく先に本編を読了することをお勧めする。でないと、いろいろなものの魅力が減ってしまう。よって、これ以降の文章も本編を読了しているものとして進める。

これから漫画を読もうとしている人は、以下の文章は「後から読む」にブックマークしておくのが良いだろう。


本書は二つの視点から構成されている。一つは、本編では主人公の親友であった小林賢也。弁護士となった彼が、一つの大きな事件に立ち向かうまでの視点が描かれている。もう一つは、八代学。小学校時代の主人公たちの先生だ。ノートに書かれた彼の手記を賢也が読み進めていくという構成で、二つの視点が一つの作品に収められている。

この二人には共通点がある。どちらも本編の主人公である藤沼悟に動かされてきたという共通点だ。本作ではそれが徹底的に描写されている。八代の過去の振り返りも、そのすべてが悟へと結びつき、賢也の現在も悟との過去の接触によって生じたことが何度も確認される。

本作は、悟によって動かされた二人の物語なのだ。

『僕だけがいない街』の本編では、最後の方で彼が漫画家志望だった設定がひょっこり顔を出す。恐るべき連続殺人犯との闘争の中ではすっかり忘れ去られていた設定でもある。でも、その設定にはちゃんと意味があったのだ。

悟は、リバイバル中に賢也にこう言う。

「……ケンヤ。今、思いついたんだ。結末はこれから考えるよ。(後略)」

これは「どうなるかわからないけど、やってみる」という意味だ。でも、それだけではない。彼は過去に飛び込み、認めがたい結末に抗おうとした。彼は徹頭徹尾当事者であると共に、物語の語り手でもあった。彼の意志、彼の勇気、彼の行動、彼の判断。それらが物語を形作っていったのだ。

結末を考えるのは誰の仕事だろうか。もちろん、語り部の仕事だ。それはストーリーテリングを担うものの最大の責務であるとすら言える。「結末はこれから考えるよ」という悟のセリフからは、語り部の矜恃が伺える。そして、実際に彼は物語を作り出した。彼の手によって動かされた二人の人間の述懐__それこそが本作のコアである__がそれを支持している。

これは別に悟が漫画を描くように現実に対処してきた、という話ではない。むしろ逆である。彼は、彼がリバイバルと対峙してきたのと同じくらいの真剣さで漫画と向き合ったのだろう。そこに生まれるのは、しっかりとした感触を持った物語に違いない。


本作は、『僕だけがいない街』のAnother Recordである。最初にスピンオフと書いたが、実際はそうではない。賢也と八代という別の視点から紡がれる物語は、最終的には悟へと結びついている。その意味で、本作は本編に立体感を与える作品だと言えよう。

本編を全部読んだのなら、そして気に入ったのなら本作にも手を伸ばしておきたいところだ。

僕だけがいない街 Another Record (角川書店単行本)
一 肇[KADOKAWA / 角川書店 2016]

僕だけがいない街(1)<僕だけがいない街> (角川コミックス・エース)” style=”border: none;” /></a><br />
<a href=三部 けい[KADOKAWA / 角川書店 2013]

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