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『数学文章作法 基礎編』(結城浩)

理系のための文章読本といえば、『理科系の作文技術』が定番です。1981年初版の本ですが、毎年4月が近づくと、どこかしらの書店でピックアップされています。きっと、この本も同じように扱われるのではないか、と、そんな感じを受けました。

タイトルに数学と入っており、例示の文章も数式混じりのものが多いですが、実際は「わかりやすい説明文の書き方」を解説した本と言えるでしょう。

内容は『理科系の作文技術』と重なっている部分もありますが、本書の方が圧倒的にシンプルです。このシンプルは、単純という語感ではなく、何度もフィルターを通して濾過したような純粋さに近いイメージです。二冊を比べてみると、『理科系〜』はエッセイ的な要素が強い印象を受けました。多少の混ざり物がある雰囲気です。
※そういう「濁り酒」な本が好みな方もいるでしょうから、どちらが良いのかは一概には言えません。

また、この二冊は対象範囲の広さも違います。『理科系〜』は文章を書き始める前の段階もフォローしており、「手紙・説明書・原著論文」や「学会講演の要領」といった分野への解説もあります。対して本書は、純粋に「文章を書く」分野にターゲットを絞っています。

そういう意味で、一冊読み終わった後の「お得感」は『理科系〜』の方が強いかもしれません。ただ、内容を理解できるのかどうかは、「お得感」とは別の話です。

本書を読んでいて一番驚くのが、ほとんど「引っかかる箇所」がない所です。スーっという効果音が発生しそうなくらい書いてあることがスムーズに頭に入ってきます。おそらくそれは内容が徹底的に吟味され、必要最低限の表現だけでそれが提示されているからでしょう。「シンプル」と言ったのはその意味においてです。

世の中に一定数は存在する、小難しいことがたくさん書いてある本が良い本だと考える人にとっては、本書は「薄っぺらい」本として認識されるのかもしれません。しかし、物書きの立場から言わせてもらえば、シンプルにわかりやすい本を書くことはたいへん難しいものです。それはたとえば、バスケットボールで、ゴールのリングに一切触れずパスッとネットに直接吸い込まれていくシュートを打つことを思い浮かべてもらえばよいでしょう。

だいたいにして、文章を書いていると、ついつい「余計なこと」を書きたくなってきます。自分の持っている知識を振りかざしたくもなります。なんといっても、文章を書いている間、王様は私なのです。歴史を振り返ってみると、権力の椅子に座った人間は、だいたいろくでもないことに手を出します。文章を書く場合でも、それは同じなのでしょう。

以上のような話も、一種の脱線です。つまり「余計なこと」です。で、こうした余計なことをたくさん書いていくと、言いたいことの本質が見えにくくなります。もちろん、それはそれで文章の楽しみの一つなので、そのあたりは「どんな文章を提供したいのか」という書き手のジャッジメントが鍵を握るのでしょう。

一つ言えることは、何かしらの説明文や教科書は、楽しむことが第一義ではない、ということです。書き手は情報を手渡すこと。読み手はその情報を受け取ること。これがそうした文章の目的となります。その目的を達成するためには、本質以外の部分はできるだけ取り除くのがベストです。

そういう意味で、本書は(上から目線ですが)良くできた本だと思います。初めて説明文に取り組む人には、最適の一冊でしょう。


話は少しずれますが、私の『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』も「読書の初心者」をターゲットに書いています。

ウェブで見かけた本の感想には、「こんな内容は高校生ぐらいで知っていないとマズいだろう」とありました。私もそう思います。おそらくこの感想を書かれた方にとっては、「こんなものは常識だ」ぐらいの感覚なのでしょう。

しかし振り返ってみると、私は高校生のときに、誰かから本の読み方を教えてもらった経験がありません。ちなみに大学生でも同様です。たぶん、論文を書く段階になって、初めて自分のアウトプットを生み出すための本の読み方を誰かから教わるのでしょう。あるいは同輩から見よう見まねで学ぶのでしょう。

自分自身の体験や、長年勤めてきたコンビニ店長時代のアルバイト大学生との対話の中で発見したのは、「本の読み方を知らない若者が多い」ということです。もちろんそれは「小説に書いてある文字が読めない」のではありません。「本に書かれている情報との接し方が分からない」「情報の利用法を知らない」ということです。極端に言えば、知的生産の技術をほとんど持たないわけです。

おそらく有名大学の有名な教授は、優秀な学生に囲まれているから、そういうことに気がついていないのかもしれません。しかし、今の日本においては、有名でない大学が圧倒的に多いのです。そして、そこに所属している__あまり優秀でない__大学生もたくさんいるのです。

そういう大学生は、なんとか単位と卒論をやりくりして、大学を卒業し、社会に参加します。この知識労働社会のど真ん中に飛び込むわけです。知的生産の技術を学ばずに。

実に恐ろしいことです。

本の読み方については、M.J.アドラーとC.V.ドレーンの『本を読む本』で十分だ、という意見もあるでしょう。たしかに『本を読む本』は良書です。しかし私からすれば、この本ですら難しいと考える若者は多いように感じます。

まったく読書を経験したことのない若者に対して、読書を勧めるのであれば、まったく読書を経験したことがない人でも読める(読み通せる)本であるべきだと、私は考えました。教科書というのは、そういう風にあるべきです。

というわけで、ネットは普段使うけれども、本はまったく読まない(あるいは読んでも小説ぐらい)な人が『ハイブリッド読書術』のメインターゲットです。もちろん、読書の方法に悩んでいる人や、Evernoteを使った読書情報の管理に興味がある人にもそれなりに役に立つ内容です。が、あくまでメインターゲットはそういう人になっています。

最大の問題は、私の本をよく読んでくれる人は、たいてい読書好きな人、ということですね。そういう人には「ふ〜ん」と評されて終わるかもしれません。でも、これは一度しっかりと書いておきたかったテーマでした。

という具合に、大幅に脱線しましたね。こういうのは説明文にはまったく向いていませんのでご注意を。

数学文章作法 基礎編 (ちくま学芸文庫)
結城浩[筑摩書房 2013]

数学文章作法 推敲編 (ちくま学芸文庫)
結城浩[筑摩書房 2014]

ソーシャル時代のハイブリッド読書術
倉下忠憲[シーアンドアール研究所 2013]

本を読む本 (講談社学術文庫)
J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン[講談社 1997]

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