『ヤバすぎる経済学』には、クレイジーなアイデアがたくさん提出されているのだけれども、そのうちの一つにスティーヴン・D・レヴィットの同僚であるグレン・ワイルさんが考えた投票のアイデアがある。調べてないけど、たぶんこの人も経済学者だろう。なにせ発想がこうだ。
グレンの投票の仕組みでは、有権者は好きなだけ何度でも投票できる。でもアイディアのキモは、投票するたびにお金を払わないといけなくて、払う金額は投票した回数の2乗の関数で決まることになる。
いかにも経済学者が考え出しそうなシステムだ。一票目は1ドルで、二票目は4ドル。三票目は9ドルとなり、四票目は16ドルとなる。百票目なら1万ドルだ。
このシステムでは、投票者がどの政治家を好んでいるかだけでなく、その人をどれくらい好きかも取り込める。シグナルが増えれば、市場はより効率的になるという発想は、やっぱり経済学者的だ。どうだろうか。なかなかクレイジーではないだろうか。
当然、金持ち優遇の批判は出てくる。でも、レヴィットは、そうはいっても現在の選挙のシステムだって金持ちは充分影響力を持っているではないかと言う。うむ、その通りだ。じゃあ、このシステムはその影響を多少は緩和するのだろうか。
それはわからない。
しかし、ごく少数の金持ちがその国の資産の大半を握っている状況だったら、ちょっと面白いことになる。5%の金持ちを優遇する施策があり、それを押している政治家がいたとしよう。95%はその政策には反対している。さて、金持ちがお金の力で投票結果を動かそうとしたらどうなるか。
仮に全体が100人として、5人で95人に打ち勝とうとすれば、一人20票ぐらい入れなければいけない。400ドルだ。これは20票目の価格であり、19票目は361ドルで、18票目は324ドルであることを忘れてはいけない。手痛い出費である。そして、95人の方は、追加で2ドル払うだけで、金持ちにさらなる出費を強いることができる。
これは面白い仕組みだ。
でも、実際は95人の人たちに4ドルぐらい払って票を買うことになるだろう。市場というのはそういう風に動くものだ。だから、この仕組みは危うさが残る。
でも、この投票に使われたお金がどう動くかにはちょっと興味がある。選挙に立候補した人は、当選するかしないかで大きな違いが生じる。ゼロサムゲームだ。選挙に勝てるだけの票を集められなければ、集まった票は(こういう言い方はなんだけど)ゴミ屑である。
でも、もし投票で集まったお金が候補者の選挙活動資金としてバックされるならどうだろうか。それならば落選しても投票は死に票にはならない。次の活動の原動力になるし、それがわかっていたら僕たちももっと精力的に選挙に出かけるのではないだろうか。その点で、このシステムには見るべきものがある。
投票権を買う、という発想が歪んでいるかどうかは別として、現状の「一人一票」のシステムが本当にうまく機能するものなのか、他によい形はないものなのかを考えるのは決して無駄ではないだろう。だからまあ、一見クレイジーに見えるアイデアだって、きちんと襟を正して検分しないといけない。
それはそうとして、最初にこの投票システムについて読んだとき、まっさきに思い浮かんだのが『銀と金』の誠京麻雀である。牌をツモるごとに供託金を支払う必要があり、ツモった牌が気にくわなければ場代の3倍を支払うことでツモり直せるといういかにも金持ち優遇施策の麻雀だ。
いかにもクレイジーな発想のルールなのだが、これがまた面白いのである。
スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー [東洋経済新報社 2016]
福本 伸行[フクモトプロ/highstone, Inc. 2013]