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『知的生活の方法』(渡部昇一 )

タイトル通り「知的生活」を送るためのノウハウが提示された本。

書かれた時代もあるが、「古き良き」話が多い。おそらく「反知性主義」によって真っ先に標的にされるであろう話でもある。でもそれは、合わせ鏡なのだ。本書に影響を与えたとされるハマトンの『知的生活』では、愚かな人間を一段下にみる記述がところどころに見受けられる。ようするに無知で、進歩的でない人間は劣っていると捉えられている。「反知性主義」というのはそうした人たちの反旗の声であり、結局お互いがお互いを排斥しているのだ。

本書にそのような記述がストレートに出てくるわけではない。簡単に言えば書斎人向けのノウハウや考え方がつらつらと綴られているだけだ。ある意味で、極めて個人の生活に閉じた内容でもある。パブリックに位置づけられるパーソナルではなく、あくまでプライベートな話なのだ。

梅棹忠夫の『知的生産の技術』は、その点に違いがある。「生産」という言葉は、もちろん何かを生む行為なわけだが、そこには社会に対するコミットが暗黙に含まれている。単に生成するだけではなく、それを誰かに手渡すことが意識されているのだ(知的生産の定義を思い出してみればいい)。その意味で、『知的生産の技術』で書かれているノウハウは、あくまで個人向けのものでありながら、その視点は社会へと接続している。だからこそ、「知的生産」という行為が社会参加になりえるわけだ。

書斎生活は、概ねそうではない。それは簡易版の象牙の塔なのだ。プライベート・アイヴォリー・タワー。そこでは関心のない他者、無関係だと自分が思いたい人間は、完璧に存在を消している。そこで社会との隔絶が生じることを想像するのは難しくない。アカデミックな場よりも、むしろジャーナリズムに接近し、「市民のための博物館」を作り上げた梅棹とのスタンスの違いは、ここにはっきり見て取れる。

とは言え。そう、とは言えである。知的な思索を営む人間にとって、社会の流れと隔絶した「書斎」を持つことはたしかに必要なのだ。それは、情報的にも影響的にも、時流といったものと距離を置いていなければいけない。自分との対話を行うためには、静かな場所は欠かせないのだ。

ただし、それが行きすぎてしまい、生活のすべてとなってしまったら、その思索はただ自分のためのものとなり、社会に必要な連帯を、身勝手な仲間意識へと変質させてしまう。知的生活を営む人間、あるいは志す人間は、最低限その点には注意した方がいいだろう。

以上を踏まえた上で言っておくと、本書のノウハウはたいへん有用である。知的作業に関わるノウハウは2〜4章にまとまっており、1では基本的な指針が提示されている。5は少しくだけた話題も多い。本を読む、もっと言えば教養を求める生活を送りたい人には示唆に富む本であろう。

▼目次データ:

1.自分をごまかさない精神
2.古典をつくる
3.本を買う意味
4.知的空間と情報整理
5.知的生活の形而下学

知的生活の方法 (講談社現代新書)
渡部昇一 [講談社 1976]

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