WRM
1

WRM 初代サンプル号

とある事情で消えてしまった、WRMの幻の第0号を掲載しておきます。

現在と体裁は似ておりますが、文章は全然違っておりますので(2010年のものだけあってかなり拙いです)、あくまでご参考程度にご覧ください。

では、どうぞ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~

――――――――――――――――――――――――――――― サンプル号
サンプル号のメニューはコチラです。

○ご挨拶
○ジブンのトリセツ 「時間の使い方」vol.1
○BizArts 「仕組み」vol.1
○ダダブレ!「ソーシャルについて」 vol.1
○Rashitaの本棚
○Q&Aコーナー
○終わりに
___________________________________
○ご挨拶

はじめまして、発行人のRashitaです。
ついにメルマガを発行することになりました。拙い文章でお見苦しいところがあるかも知れませんが、よろしくお願いします。

このメルマガはR-styleというブログの運営主である、Rashitaこと倉下忠憲が日々考えていることやブログに書ききれないテーマ、長期的な連載やこぼれ話などを書き綴っていきます。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
○ジブンのトリセツ 「時間の使い方」

「億万長者 富の法則」(*1)という本の中に「富のパラドックス」というものが紹介されています。

富のパラドックス
「お金がたくさんあればあるほど、お金を失う機会もたくさんある」

周りを眺めてみると、このパラドックスは一種の真理のように感じられます。宝くじが当たって、結局無一文になる人や、株で大儲けして最終的に莫大な借金を抱えてしまうなんて事例は小説の中だけの話ではないでしょう。例えば自分がちょっとした小遣い程度のスピードくじに当選したり、ギャンブルで勝ったりした時、なんとなく「気が大きくなる」ような感じを味わう事はあります。多くの人がボーナスをもらったときに、贅沢をしたり旅行に行ったりするのも同じ事でしょう。もしボーナスが一括ではなく、月々の給与に少しずつ上乗せされる形であれば、「贅沢」に使われる可能性は低いだろうなと思います。

もともと持っていなければそれを使う気持ちがわき上がることもないのに、一度お金を手にしてしまうと、どんどんそれを使いたい気分がわき上がってくる。人間の心理メカニズムの中身がどうなっているかわかりませんが、「持っていたら、使いたくなる」というシステムが働いているのかもしれません。

これは「お金」についての教訓として大きな意味を持ちますが、今回考えたいのは「時間」の使い方です。私はお金の使い方と時間の使い方を類推して考えることがよくあります。いろいろな例で考えてみてもこの二つには類似する点が多くあります。それは、あの黄金のような箴言

「時は金なり」

を考えてみても明らかでしょう。上の言葉は数式的に表現すれば「時 = 金」なわけですから、時間と時を置き換えてみることに矛盾は生じません。

さて、この二つの「言葉式」を用いて少し考えてみましょう。

「お金がたくさんあればあるほど、お金を失う機会もたくさんある」
「時は金なり」

「富のパラドックス」は次のような「時のパラドックス」に置き換えられそうです。

時のパラドックス
「時間がたくさんあればあるほど、時間を失う機会もたくさんある」

これも感覚的に正しい感じがします。言い換えれば「自由に使える時間がたくさんあればあるほど、時間を浪費する機会もたくさんある」ということです。

丸一日オフの日があって、その前日には「あれをしよう、これをしよう」と壮大な計画を立ててみても、実際当日になってみるとなんとなくだらだら過ごしてしまって一日が終わる。そういうことはよくあるような気がします。逆にめちゃくちゃ忙しいスケジュールの中、必死で確保した2時間は特に意識しなくても有効に使える。そのような事はないでしょうか。

ただ単に、時間をたくさん集めればそれだけで効果的な作業ができるとは限らない、ということです。では、どのようにすれば時間を上手く使えるようになるでしょうか。

それを考える前に「お金」と「時間」について考えてみたいと思います。

お金と時間の最大の違いはその絶対量でしょう。必死になって働けば得られるお金は増えていきます。あるいは宝くじを買い続けていれば、4000回生まれ変わる間に1回ぐらいは一等に当選するかも知れません。

しかし、時間は増えません。皆が等しく一日24時間というリミットを割り当てられています。もちろん日付変更線をまたいでいけば「一日を飛び越える」とはできますが、それでその人の寿命が延びたということにはなりません。

「時間」というのはお金と違って生み出すことができないものです。結局の所「すでに存在している物を有効に使う」というアプローチしかできません。作業の効率化でも、睡眠時間の削減でも根本的な部分は同じ事です。睡眠時間を削って作業時間を作り出しても、眠気や体調不良から作業そのものの効率が落ちていれば、得られる生産性に違いはないでしょう。また睡眠時間を削らなくても作業効率が上がれば、手持ちの時間を増やすことができます。

どれが正しいということではなく、方法論の違いに過ぎない、ということは意識しておいた方がよいでしょう。時間に関しては生み出し方ではなく、活用の仕方を工夫するしかない。そして得られる結果が良ければ、アプローチはどんなやり方でもその人にとっては「正しいやり方」になるということです。

時間の使い方に関する本はいくつもでていますが、正解を追い求めるよりも、自分に合ったものはないか、という視点で探した方がよいでしょう。特に生活のリズムに関わることは向き不向きもあるでしょうし、変えるためには時間もかかりそうです。方法に自分を合わせるのではなく、自分にあった方法を見つけ出すというのは、時間の使い方以外にも共通していえることだと思います。

時間とお金の差については以上ですが、共通点は何かあるでしょうか。

一つはその「価値」です。もう一つは「レバレッジ」が効くこと。これについては、次回に続きます。

※1 「億万長者 富の法則」(中経出版) ロジャー・ハミルトン
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
○BizArts 「仕組み」第一回

仕事について考える上で、必ず通るべき道がいくつかあります。その一つが「仕組み作り」です。「仕組み」という言葉も今では普及し、かなり多様な意味で使われている状況なので、結局仕組みって何?何がすごいの?という状況になっているかも知れません。

この連載では何回かに分けてじっくりと「仕組み」について考えてみたいと思います。

今回は泉正人氏の『「仕組み」仕事術』というBiz本で紹介されている「仕組み」について考えてみたいと思います。

この本の中で「仕組み」は次のように定義されています。

「誰が、いつ、何度やっても、同じ成果が出せるシステム」

つまり単なるシステムではなく、実行者の手腕を選ばずに同じ結果が出せるシステムということです。つまり「仕組み」はブラックボックスであってはいけない、と言うこと。これ自体はすごくわかりやすいですね。例えば正確なチェックリストはまさに「仕組み」と言えるでしょう。ではなぜその様な「仕組み」を作る必要があるのか。

その答えを、簡単にまとめると「時間の選択と集中」を行うためと言えるでしょう。著者は仕事を「考える系」「作業系」に二分して「考える系」に時間を多く使うことが大切だと説いています。そのためには徹底的に「作業系」にかかる時間を減らすことが肝心です。

「作業系」の仕事はチェックリストにしておいて、脳の力をなるべく使わないで、時間もかけないでこなす。残りの時間は「考える系」に充てる。これが成果を最大化するためのコツ、というわけです。あるいは「仕組み化」してしまった仕事は他人に任せることができるかもしれません。そうすればますます「考える系」に充てられる時間は増えることになります。

私はこの本のポイントはここにあると思っています。単に仕組みを作っただけで成果を上げるのは難しいでしょう。可処分時間が出来たとしても、それをまた別の作業に充てていては、いつまで経っても「あなたにしか出来ない仕事」に取り掛かることはできません。言い換えれば、「仕組み」の中の仕事だけでは成長することはできないとなるのではないでしょうか。

この本では仕組み仕事術の3つ黄金ルールが提示されています。

「才能に頼らない」
「意思の力に頼らない」
「記憶力に頼らない」

確かにこのルールで仕組みを作れば、誰しもが同じ成果を出せるでしょう。であれば、すでにその仕事はあなたがやってもやらなくても良いはずです。

つまり、「仕組み化」の目的とは自分が次のステージに上がるためと考えた方がよいでしょう。「仕組み」の内側に留まっていては、いずれ他の人にその仕事が取って代わられます。むしろ「仕組み」を土台にして、次の階段へと足を伸ばす、これが仕事をする上で目指すべきところなのではないでしょうか。

「仕組み」という言葉で思い浮かぶのがマニュアルです。コンビニ業界に長らく身を置いていた私にとって身近な言葉でありながら、距離を置いていた言葉でもあります。一定の知識を下敷きにしてまとめられたマニュアルは大変便利です。人に仕事を教えるときも、教わるときもかなりの手間を削減してくれます。

しかし、接客業においてはマニュアルは「信奉」すべきバイブルではありません。あくまで基本を押さえるためのツールです。そしてそのマニュアルの中だけでしか仕事が出来ない人は、ドラッカーの言う「知識労働者」になることはできません。逆に、マニュアルにない仕事で成果を上げられたり、マニュアルを改善できる人ならば、自らの中に価値を持つことができます。

「仕組み」そのものが凄いのではなく、「仕組み化」する力が凄いのです。必要な物をもれなく集め、不必要なものを切り捨てる、つまり本質に迫る視点がないと効果的なマニュアルは作れません。だから人の「仕組み」の中で仕事をして満足している状況には危機感を覚えた方が良いでしょう。

まとめてみると、ポイントは3つあります。

・仕事を「考える系」「作業系」わける
・「仕組み化」していくことで、仕事力がつく
・「仕組み」を作って可処分時間を増やし、自分の成果に繋がる仕事の時間に割り当てる

これらから考えられることは、他人の作った仕組みを導入するだけでは意味はない、という事です。他人の仕組みでも可処分時間が増えることは間違いありません。しかし、空いた時間を何に使えば良いのかがわからなければ成果を上げることには繋がりません。また、自分で「仕組み」を作ることができなければ、環境が変わったときに対応できなくなってしまいます。

「仕組み」を作るためには、仕事全体を俯瞰し、必要な仕事をピックアップし、不必要な仕事を排除し、定型化を行い、他人に分かる形でアウトプットしておく必要があります。これは、仕事をする上で役立つ能力ばかりです。

「仕組み作り」というのは、作業の効率化という目的があるのかもしれませんが、その裏側に秘められたものは「仕事力のトレーニング」と言ってよいのではないでしょうか。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
○ダダブレ!「『ソーシャル』について」第一回

最近は「ソーシャル」という言葉をよく耳にします。ソーシャルメディア、ソーシャルネットワーク、ソーシャルコマース、ソーシャルブレインズ……。言葉の意味としては「社会の」あるいは「社会的な」という意味ですが、文脈で見るとそれぞれ微妙に差異があります。

それぞれの言葉を眺めながら、総体としてこれからの社会における「ソーシャル」が持つ意味について考察してみたいと思います。

まずはソーシャルメディアから。ソーシャル・メディアという言葉はマス・メディアに対する言葉としてよく使われます。ポスト・マス・メディアと呼べるかも知れません。

マスメディアというのは、特定少数の発信者から不特定多数の受け手へ向けての情報伝達手段の事で、しかも一方的というのがその特徴です。情報伝達の効率性は高いのですが、一方的という点がややネックです。不特定多数に向けて大きなシェアを持つマスメディアの場合、偏った考え方があたかも「当たり前」であるかのように流されてしまう可能性を秘めています。それを検証する情報が仮に合ったとしても、それがマスメディアに乗らなければ存在しないのと同じ事、という状況は意識的な世論誘導につながる恐れもあります。

それに対向する形でネット上で情報の検証などが行われ、またSNSサービスの普及に伴って「マスメディアいらなくね?」のような話も持ち上がってきています。本当にマスメディアが一切必要ないのかどうかはしっかりと検証する必要があるでしょう。ただ、現在の日本のマスメディアは収益的にその構造や規模を維持するのが難しい状況にあることは確かです。

翻ってソーシャル・メディアはどのような特徴を持っているでしょうか。

ウィキペディアから引用すると、

ソーシャルメディアは、誰もが参加できるスケーラブルな情報発信技術を用いて、社会的インタラクションを通じて広がっていくように設計されたメディアである。

となっています。イマイチ意味が取りにくい表現ですが、マスとの比較で考えた場合「情報がいくつもの枝(ブランチ)をたどりながら伝達されていくもの」と表現できそうです。

インフラを整備・維持するためのコストはかかりますが、情報の発信者が発信を行うためのコストはほとんど無い、あるいは意識されないというのがソーシャル・メディアの特徴です。

また発信者と送信者の境界がとても曖昧です。情報を受け取った人が、その情報を他の人に向けて流す。あるいは多少のコメントを付け加える。その様にして拡がっていく中では、誰しもが発信者になりうる可能性があります。

既存のマスメディアが広告ベースにして収益を担っていたのに比べて、ソーシャル・メディアは個人で行っている人が大半でしょう。あるいはメディアの一部を担っているという意識すらないかもしれません。

ソーシャル・メディアの特徴は「共感」をベースに拡がっていくことでしょう。誰かが面白いと思ったこと、興味を持ったことがメディアの波に乗ります。その中では「画一性」という言葉はあまり意味をもちません。ある種の事を面白いと思う人々が緩やかに繋がっているようなイメージです。当然小さな集まり、大きな集まりの差は存在します。ただ、「自分はあまり興味ないけど他の人が追いかけている情報だから」というような理由で情報を流す必要はありません。

「マインドセット」という本の中で「新聞は、強制的選択のクローズドシステムである」という表現がありますが、この表現を借りれば「ソーシャル・メディアは、自発的選択のオープンシステムである」と言えるかも知れません。ソースとなる元はいくらでも存在し、しかもそれを自分で選択することができます。また、そのネットワークの外にある情報が入ってくることもあります。
※Twitterでフォローしていない人からリプライが飛んでくるようなもの。

Twitterの特徴としてあまりネガティブな情報が拡散しないという点が上げられます。ネガティブな情報が存在していないわけではなく、単にそれが広まらないというだけです。「感じが悪い情報」は誰も広めようとはしません。逆に面白いと思った事は誰かに教えたくなります。情報発信のコストの低さがこれと結びついて、普通では考えられない規模や速度で情報が伝達する事もあります。

この点は、マス・メディアとは大きく異なった点でしょう。

ただし問題が無いわけではありません。まず情報の信頼性がまったく担保されていないということ。情報を鵜呑みにする危険はネットが普及し始めた頃から指摘されていますが、かなりの速度で広まり、また情報量が多い中では、一つ一つの情報をしっかり吟味するのは難しいという状況があります。

もともと、情報の扱いがしっかり出来ている人ならば惑わされることは少ないでしょうが、慣れていなければ「うっかり鵜呑み」にしてしまう可能性があります。これはソーシャル・メディアの問題というよりは、それに参加する人の態度の問題と言えるかも知れません。

また伝達の速度が速く、広がりがあるので「うっかり」流してしまった情報の回収が難しい事があります。ある情報を流したあとで、それが間違いだったと気づいて訂正のつぶやきを流したとしても、その訂正のつぶやきが同じように拡がるとは限りません。

このような危うさも抱えています。

ただ、すでにソーシャル・メディアというのは存在し、今後もその勢力を拡大していくことでしょう。であれば「いかにすればこのメディアの力を最大限に有効活用できるか」を考えていくべきだと思います。そして「ソーシャル・メディアの弱点を埋めるようなものはないか」と考える視点を持つことも必要でしょう。

次回もソーシャルを関する言葉についてです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
○Rashitaの本棚 ~Book 温故知新~

私の本棚からランダムに本を一冊ピックアップして紹介するコーナーです。本選びの参考にでもなれば幸いです。

「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社文庫) 糸井重里

今回取り上げるのはこの一冊。

ほぼ日が13年目。そしてほぼ日手帳が10年目ということで、ちょっと振り返って読んでみました。

いまや、インターネット上で巨大な「メディア」となってしまった「ほぼ日」ですがその始まりは心もとない存在でした。当初は収入をほとんど生まない存在。もちろん経費は出て行くばかり。糸井さんは自分が他の仕事で稼いできたお金で、ほぼ日を運営されていました。その状態だけで判断すれば、「負け組」と言われるかも知れません。いまでは糸井さんに向かってそんなことを言う人はだれもいないでしょう。

糸井さんが何を考えて、そしてほぼ日をスタートさせたのか。その中でどのような苦労があったのか。そして、何を目指してきたのか。

そういう話が盛り込まれています。

自分が強く感じていることは、ほぼ日は「まったく新しいメディア」だということです。

新聞という名前が付いていますが、既存の新聞とは全く違う存在です。でも個人ベースのウェブサイト・ブログでもありません。企業のウェブサイトとも大きく異なっています。今は当たり前のように存在していますが、これは結構凄いことではないかと思います。

2004年の時点で1日のアクセス数が100万オーバー。2011年の時点ではどのくらいになっているのでしょうか。ちなみにほぼ日手帳のユーザーは30万を超えているらしいです。

これほどまでに人気を集めているというのは、単に糸井重里が人気だから、という話では片付かないでしょう。おそらくほぼ日で提供されているものが今の日本では「希少」なのでしょう。もし、新しいメディアを作りたいと思うならば、そこで何が展開されているのかしっかりと見つめておく必要があります。

広告収入に依存したメディアではたどり着けない地平というのが存在しているのではないでしょうか。すくなくとも今立派な黒字メディアとなっているほぼ日は、今からの「個人メディア」を考える上でも参考になる部分が多分に含まれていると思います。

8月に行われたほぼ日手帳2011の発表会に出かけたときに、糸井さんが「スティーブ・ジョブズ」を意識したプレゼンを行われていました。スケッチブックに切り貼りしたプレゼン資料を使いながら、見ている人に笑いを起こすプレゼンでした。もちろんジョブズとはまったく違います。ジョブズのプレゼンは「信者」を増やすプレゼンですが、糸井さんのプレゼンは「仲間」を増やすプレゼンでした。

マス・マーケティングが失ってきた物があるとすれば、おそらくはこの感覚なのではないかと思います。発信者・受信者という二分化。あるいは垣根。そういったものが取っ払われた世界がほぼ日の中には拡がっています。ほぼ日というコンテンツの中にそれを読む読者が含まれている。そしてその読者を介してコンテンツが拡がっていく、そんな世界。

ほぼ日の歴史と哲学を知ることができれば、一歩でもその世界に近づけるのではないかと淡い期待を抱きながら、本書を再読しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
○Q&Aコーナー

皆様からいただいたメールの質問に答えるコーナーです。例えばこんな感じになります。

Q.倉下さんは文章を書くときにどのようなツールをお使いですか。

A.基本的にエディタは「なんでもよい」というのが正直な所です。PCもWindows(VAIO)とMacを気分で使い分けていますので、あまり統一性はありません。一応WindowsではMKEditorをMacではmiというエディタをよく使っています。文字数制限などが無い文章の場合はEvernoteに直接記入することもあります。

そういえば、デスクトップのEvernoteで文章を書いていたときに一瞬だけ停電してものすごく焦ったことがあります。普通のエディタならば保存を押すまでの文章は全て消失してトライアゲインですが、Evernoteはしっかりと保存されていました。一度書いた文章をもう一度始めから書き直すこと程精神力を使うことはありませんので、そのときは心底ほっとしたのを覚えています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
○終わりに

このメルマガはこんな感じで進めていきたいと思っています。今回のコンテンツ以外にもいくつか準備中のコンテンツがあり、それらの中から4~5個程度コンテンツを選択し、週に1回のペースでメールマガジンを発行していきたいと考えています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ご感想・ご意見は、お気軽にご連絡ください。
___________________________________

メールマガジン「Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~」

☆発行責任者:Rashita(倉下忠憲)
☆公式サイト:http://rashita.net/blog/
☆Twitter ID:http://twitter.com/rashita2
☆問い合わせ:tadanorik6@gmail.com

Tags:

One thought on “WRM 初代サンプル号

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です