[告知] 「モレスキン スマートライティングセット」発売記念イベントに登壇します | Lifehacking.jp
まずは孫引き。
MOLESKINEは、「スマートライティングシステム」をデザインするために、メモやアイデアを書き留める方法について再定義を重ねてきました。「ノートブックをどうやって使うか」という問いは、私たちが物事をどのように考えて、そこから何を生み出しているのか、という課題にまで広がっていきます。それはかつて文化人類学者である梅棹忠夫氏が提唱した「知的生産」という概念にも通じる興味深いテーマです。
「ノートブックをどうやって使うか」は、興味深いテーマを通り越して、スターウォーズのように壮大なテーマでもあります。
ええ、こういう本、書こうとしていたんですよ。ずっと前から。「私たちはなぜノートを使うのか」というテーマで。
それは人と情報の関係、人と知識の関係、人と記録の関係を解き明かす本になるでしょう。
スタート地点は、おそらく洞窟です。そこからさまざまな記録ツールを経て、現代のデジタル・アナログのハイブリッド環境を通過しながら、SF的なメメックスを踏み台にして、最後はトータルリコールとしてのライフログにまで至ることでしょう。大げさに言えば、記録の文明史です。
脳の補佐的な装置として始まったノート(記録)は、脳の補助装置となり、やがては真の意味での第二の脳となっていくでしょう。マクルーハンが予見した通りです。
ただしそこに至るまでの道のりはまだまだ長く、私たちは混沌の過渡期を通過しなければなりません。でも、それはチャンスでもあります。手書き、キーボード、iPadへの書き込み、音声入力。これらが混在し、他のすべてを排除するほどの力を持っていない今だからこそ、相対化して考えることができます。現代は、そういうタイミングなのです。
私たちは記録によって情報を扱えるようになり、また記録によって情報を扱わなければならなくなりました。情報が手軽に生み出せるがゆえに、私たちのもとに届けられる情報もまた増大するのです。となると、私たちは記録を使わざるを得なくなり、従ってやはり送り出せる情報もまた増えます。ここにはループがあります。そして、今後もこれは止まらないでしょう。
人間中心ではなく、技術中心、あるいは情報中心の視点に立てば、私たち人間は単に情報の運び手になってしまうでしょう。DNAが本体で、私たちはそれを乗せて動くだけの生命体、という考え方がそれです。世界中に張り巡らされたインターネット網も、人類がそれを望んだからではなく、「情報」がそれを欲したから人間がそれに従っただけ、という見方もあります。
はたしてそれでよいのでしょうか。
私たちと記録。記録と私たち。
力点はどちらにどちらにあるのでしょうか。
私たちはなぜノートを使うのか、というテーマはこの問題に対峙する一つのきっかけとなりそうです。
いやはやおおげさですね。もちろん、実際に書く文章はこんな感じにはなりませんよ。ただ、そういうことを視野に入れながら、私たちにとって身近な「ノート」について考えてみたい、ということです。いや、実はちょっと原稿はできてるんですよ。これがまた。