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『悪魔とドライヴ』(ヘリベ マルヲ)

すれ違いざまに、握った拳を互いにコンっとぶつけ合うのは、とても心地よい。無言であっても、そこにはたしかなコミュニケーションの感触がある。でもときには、背が反るぐらいに腕を引き、そのまま腰の回転を使って繰り出されるストレートに頭をぶち抜かれてみたいとも感じる。そうして、「へへ、なかなかやるじゃねーか」と言いながら立ち上り、こちらも拳を握りしめ、腰に力を蓄えるのだ。

本作はそれくらいパンチ力のある作品だ。ここまでくると、「商業出版の本と比べて、どうたら」といった言説は失礼に当たるだろう。同じくらいの労力が投下されているだろうし、そもそもわざわざ比べるようなものではない。

作品として見た場合、まっさきに目につくのは、ストーリーテリングのうまさだ。テンポよく、そして何かを匂わせながら話は進んでいく。いささかテンポが良すぎて読者が置いてけぼりになるのではないかと心配する箇所もあるが、ドライブ感がそれらを飲み込む。有無を言わせぬ、というのはこういうことだ。

文体も、自意識にまみれた重い文体ではなく(嗚呼、私小説)、軽快でありながらも重みがある。あるいはトゲがある。ちなみに僕はハードボイルド小説が大好物であることはここで断っておこう。もちろん、人には好みがあるわけだ。

文学的に見みると、本作はややメタな構造を持っていて、たとえば村上春樹の『1Q84』を連想させる。ふかえりと「空気さなぎ」だ。もちろん、そのメタな構造を用いる意図に違いはあるだろうが、その構造に触れた読み手が、何かしらの問いを抱え込まずにはいられない点は同じである。今こうして本書の感想を書いている僕ですら、ちありに熱狂する人たちと何が違うのだ、と考えずにはいられない。

しかし、それと共に「同じであって何が悪い?」とも思う。多かれ少なかれ人は何かに熱狂しているのだ。なかにはクールさに熱狂している人だっている。だから僕は一周回って、すべてを一回飲み込んだ上で、本書を紹介する。選択権ぐらいは僕にもあるはずだ。

ちなみに、本書にはバイオレンス要素が含まれているのでその辺りが気になる方は注意が必要だろう。

悪魔とドライヴ
ヘリベ マルヲ [人格OverDrive 2016]

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