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『読書について』(ショウペンハウエル)

Arthur Schopenhauerはドイツの哲学者。日本語では、ショーペンハウアー、ショーペンハウエル、ショウペンハウエルといった表記がなされます。ここでは、斎藤忍随訳による岩波文庫の<ショウペンハウエル>を用いましょう。

ショウペンハウエルは、1788年にダンツィヒで生まれ、1860年に亡くなっています。72歳という年齢は、この時代であれば長生きな方だったのかもしれません。そのことは、彼の出自が(ある程度)裕福であっただろうこともうかがわせます。

哲学の分野では実存主義の先駆者とも言われ、ニーチェやワーグナー、アインシュタインやフロイトといったさまざまな哲人・学者に影響を与えた人物です。そして、物言いが辛辣です。

本書には、「思索」「著作と文体」「読書について」の三作が編まれており、一番ボリュームがあるのが「著作と文体」で、約100ページほど。残りの二作がそれぞれ20ページほどであることを考えると、タイトルは「著作と文体」であるのが望ましいような気もしますが、たぶんそれだとあまり読まれなかったことでしょう。

とりあえず知的生産の観点からみれば、「思索」および「読書について」も得るところが多い文章なので、タイトルもあながち的外れとは言えないし、まあ、そんな細かいことはどうでもよくなってくるほど刺激の強い本です。

私も学生時代にこの本を読み、強い感銘を受けた記憶があります。その頃は、何事であっても「強く断じる人」に惹かれてしまっていたのでしょう。そういう心のはしかみたいな季節が人生にはあります。

でも、あるときふと気がつきました。

ショウペンハウエルは、「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない」と警句を鳴らしています。

本で。

何かそれっておかしくないでしょうか。「読書なんて……」という言葉を、まさに読書によって伝達する本の上に並べているのです。それ自体が、痛烈な皮肉のようにも感じられます。

でも、実際の所は皮肉でもなんでもありません。

一つには、その警句はまさしく「読書している人」に向けられている点があります。本を読む人に向けた警句なのですから、それが本の形で表されるのは間違ってはないでしょう。

もう一つには、必ずしもショウペンハウエルは読書を全否定しているわけではない点もあります。

まずショウペンハウエルは、良書と悪書を区別します。悪書とは、「金銭めあてに、あるいは官職ほしさに書かれ」たもので、良書は「高貴な目的のために書かれた」ものです。もちろん、ショウペンハウエルは、自分の本を良書と思っていたことでしょう。だから問題はないわけです。

さらに彼は、多読を否定します。本を「精神的食物」と呼び、過剰に食べれば「精神の窒息死を招きかねない」とまで言っています。逆に言えば、しっかり良く噛んで食べる読書なら良いわけです。

総じてみれば、「私の書く本は良書であるので、各自じっくり読みたまえ」という話に落ち着くのですが、考えてみるとすごい自信家ですね。しかし、たしかに彼の思考は明晰です。反論の余地はありそうにもありません。

本書が、現代にまで読み継がれているのがその証左でしょう。

悪書は一年も経てばすっかり忘れ去られるが、真なる良書は長く読み継がれるといったことも彼は書いています。そのことを自分自身で証明していると言えるかもしれません。

ショウペンハウエルは、本を良書と悪書に区別したように、人も愚者と賢者を分けます。悪書を貪るように読み漁る人々が愚者であり、その頭の中は空っぽである(というニュアンスの)表現が本書にはたびたび登場します。おそろしく辛辣な表現ではありますが、実体験を振り返ってみると__人の見ていないところで__頷きたくなることはたしかにあります。

多読を謳っている人が書く書評が、あまりにも中身が無かった、なんて経験をお持ちではないでしょうか。私はあります。不思議なことに、面白い書評を書く人は、実際にはものすごい多読家であっても、多読を謳ったりはしません。これ以上多くは語りませんが、そういうことなのでしょう。

ショウペンハウエルは、悪書があまりにも多いことを嘆いています。「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである」と身も蓋もないことも書いています。さて、彼の死後から150年ほど経った現代はどうでしょうか。

ビジネス書の新刊コーナーを覗くと、あまり変わっていない気もします。

しかし、ショウペンハウエルが理想とするであろう世界__悪書が駆逐され、少数の良書だけが存在する__では、きっと出版産業なんてまったく発展しなかっただろうという気もします。きっと、ショウペンハウエルの本も、図書館に行かなければ読めないような世界になっていたでしょう。

ものすごく売れる本があるから、生み出せる別の本もあります。安易なベストセラー批判は、若干滑稽です。

それでも、「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである」という警句は、いつでも忘れずに置きたいものです。なにせ、人生は有限なのですから。

読書について 他二篇 (岩波文庫)
ショウペンハウエル[岩波書店 1983]

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