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『情報と秩序』(セザ・ヒダルゴ)

まず著者は、情報を「物理的秩序」だとみる。情報そのものは実体を持たないが、しかしそれは物理的に具象化されて、この世に存在している。その具象化のされ方、並び方、配列こそが情報なのだ、と。

適当に打った01の羅列と、このテキストを構成するバイナリの違いは、まさにその0と1の配置(並び方)にあるのだし、鉄原子がマンガン原子やコバルト原子と違うのも内部の配置が違うからだ。意味が通る文章も、静かに走る車も、その内部要素が適切に配列されているからこそ、その機能をまっとうする。つまり、情報を持つ。

情報を物理的秩序だとみると、エントロピーが増大する(≒情報が希薄化していく)傾向を持つこの宇宙で、なぜ地球に圧倒的な情報が蓄積されていて、その他の場所ではそうでないのかが見えてくる。エネルギーがゼロに近い環境では、固定化されたものが動くことはなく、新しい情報は生成されない。逆に、太陽のような暑すぎる場所では、安定的な固体が発生せず、情報が蓄積されない。地球のような、ほどほどの温度帯こそが、情報を蓄積していく上でぴったりな環境というわけだ。情報にとってのゴルディロックス母体。それが地球である。

その地球は、太陽からエネルギーが送り届けられ、それをほどほどの感じで外に逃がしている。安定的な平衡系ではなく、不安定な非平衡系なのだ。そのような環境では、情報は自然発生的に生まれ、自己組織化していく。それが固体によって蓄積され、さらに物質が持つ計算能力によって増殖していく。このような構図が、地球が情報的特異点になっている理由である、と著者は説く。

その上で、経済を「人々が知識やノウハウを蓄積して物理的秩序(つまり製品)を生み出し、知識やノウハウ、ひいては情報をいっそう蓄積していく能力を増強するためのシステム」だと捉え、なぜ世界に経済格差が生まれているのかを考察していく。

ポイントは、情報は物理的に具象化される、という点だ。ひとりの人間は、その人間が持ちうる物理的秩序の情報しか持ち得ない。それ以上の知識は、人と人のネットワーク(たとえば会社、たとえばギルド)の中で具象化される。

この辺りの話は、私の≪断片からの創造≫にある「すべては断片である」という思想に呼応する。個人は個人レベルの知識を持ち、その個人が接続するネットワークは、ネットワークレベルでの知識を持つ(あくまで擬人的な表現である)。その関係は階層的に上昇していき、最後は「人類」というレベルにまで到達するだろう。が、問題はその実際的な配置である。

人が持つ知識を、別の人に渡すのも難しいのだが(なにせそれはニューロンネットワークの一部分の転写なのである)、それ以上に人と人のネットワークを別の人と人のネットワークに渡すのは困難を極める。それをするくらいなら、ネットワークに属する人すべてに移住してもらった方が早い。それはつまり、第二のハリウッドを作りたければ、季候がよく似た広い場所を用意すればよい、とは言えない。ということだ。人のネットワークこそが、ハリウッドをハリウッドたらしめている。

ある企業や地域の中でネットワークされた情報は、それ自身が新しい情報を生み出していくと共に、それを別の企業や地域に転写するのは難しい。これが経済格差(経済成長の速度の差)が生まれる理由である、と著者はみる。

この見立てがどこまで正しいのかはわからないのだが、配列こそが情報の源(あるいは情報そのもの)であるという見方と、人間のネットワーク(それはつまり情報のネットワーク)に注目する視点は非常に面白い。

人件費をゴリゴリと削り、内側に閉じこもろうとする企業ほど、複雑な物理的秩序(つまり製品)を生み出せなくなり、競争力を失っていく。そこにあったネットワークが失われるからだ。そして、これまでの日本企業はまさにその道を歩んできたのではないだろうか。会社の財布にはたっぷりお金はあるが、情報のネットワークはすっからかん。これでまともに競争できるとしたら、それは奇跡か護送船団のどちからであろう。

また、著者は上記の話を「非平衡系」「固体での情報の蓄積」「物質の持つ計算能力」の三つのキーワードで説明しているのだが、それは個人の発想(アイデア)をいかに豊かに育てていくのかの視点でも受け取ることができる。「知的好奇心と活動」「メモとノート」「振り返りと肉付け」といったところだ。

すべてがフラクタルなのだとしたら、一つ上の系の話は、一つ下の系でも使えるはずである。その意味でも、面白く読める本だ。

情報と秩序 原子から経済学までを動かす根本原理を求めて (早川書房)
セザ・ヒダルゴ 翻訳:千葉敏生 [早川書房 2017]

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