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借りられなくなったとしても

図書館が新刊本の寄贈を求めるの「やめて!」 小説家が「本売れなくて死んでしまう」と訴える : J-CASTニュース

いろいろややこしい問題が絡まっている。

まず、図書館が人気の新刊本を仕入れることだが、これはまあなくてもいいんじゃないかと思う。少なくとも、それは知る権利にも、健康で文化的な生活を送る権利にも関わってはいないだろう。特にエンターテイメント作品であればなおさらだ(文化的な生活を支える本は他にも山ほどある)。

なので、著作権利者との利益の兼ね合いで、仕入れるにしても、発売一ヶ月後とか三ヶ月後とかにしても問題はないだろう。

図書館は行政サービスなんだから、利用者の声に応えてナンボだろう、という視点もあるわけだが、むしろ行政サービスだからこそ、「行政」の部分を意識した方がいいかもしれない。予算配分の主導権を握っているのは行政の方である。でもまあ、そういう理屈で割り切れないものがあるからこそ、同じ本を何冊も仕入れる事態が生じているのだろう。

で、寄贈の話。

人気の本の寄贈を利用者に頼んでも、ほとんど本が集まらないらしい。そりゃそうだろう、と思う。そういう本はブックオフに行きやすい。で、そこでの売り買いは権利者への利益とは関係ないので、図書館への寄贈をやめてもらったところで、何かが大きく変わるようには思えない。

ようは、もっと根本的な問題が別にあって、それについて考えなければいけないのではないか。

図書館での新刊貸し出しについてはこれまでも様々な議論があった。15年10月に開催された全国図書館大会では、新潮社の佐藤隆信社長が、売れるべき本が売れない原因の一つが図書館の貸し出しだ、と発言した。一般的に初版の9割が売れて採算ラインに乗り、増刷分が利益になるが、図書館が貸し出したため、あと一歩で増刷できなくなった本が多数ある。

「図書館が貸し出したため、あと一歩で増刷できなくなった本が多数ある」とあるが、むしろ図書館の存在を織り込むべきではないのだろうか。ようは初版の8割なりで採算ラインに乗るようにシフトした方がいいのではないだろうか。

別に図書館の行動を擁護したいわけではない。外部環境というのは常に変化しうるものなのだから、業績の悪化を外部環境のせいにして、その外部を固定して内部を守るようなやり方はどこかで無理がくるのではないか、という話だ。

記事では「貸し出しの1年猶予」の要望が紹介されているが、これはまったく良いことだと思う。少なくとも、誰かの権利を著しく損なっていることはない。が、それがうまく通れば、「小説家が食える」ようになるかというと、それは甘すぎる見通しだろう。現状は、業界全体(と作家個人)のビジネスモデルを考え直す段階に来ているように思う。あるいは、それはもうずっと前に来ていたのかもしれないが。

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