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『「超」メモ革命』(野口悠紀雄)

この本から、私たちは何を学ぶことができるだろうか。

ライフハック界隈の情報に通じているならば、別段目新しい話はない。フォルダ方式では限界があるので、せっかくデジタルなんだからリンクを活用しよう、ということだ。

Evernoteもずいぶん初期の頃からノートリンク機能があるし、モダンな情報ツールではリンクベースがほとんど基本となっている(Scrapbox、Obsidian、Roam Research)。むしろ、現状の課題はそうしたリンクツールを使って、いかに自らの知識を育てていくか、というPKM(Personal knowledge Management)へと視点は移っている。その意味で、本書の内容は最先端を走っていないわけだが、だからといって学ぶものがなにもないわけではない。

まず見逃してはならないのが、上記のような話が結局ぜんぜん「あたり前」になっていないことを私たちは改め認識すべきなのだろう。リンクベースの情報ツールは、これまでのデジタルツールの使い方を一段も二段も先に進めてくれるだろうが、世間一般はそもそも「デジタル情報ツールって?」というくらいの認識なのであろう。たぶん、iPhoneの標準の「メモ帳」ですらほとんど使ったことがない、という人が大半なのだろう。

その点は、現状DXと呼ばれているデジタル・シフトがいかなるレベルで実装されようとしているのかを見れば明らかだろうし、『スペースキーで見た目を整えるのはやめなさい』や『エクセル方眼紙で文書を作るのはやめなさい』などの熟達したパソコンユーザーからすれば常識と呼べる話が、改めてビジネス書で解説されていることからもうかがえる。

私たちは、もうパソコンの10年、20年選手なわけだが、スマートフォンやタブレットによって、ようやく「デジタル」ツールとぎこちなくつき合い始めた人間にとっては、まだまだデジタルは縁遠い存在であり、所詮は「高機能なアナログツール」くらいの認識である。

逆に言えば、この2021年になって、ようやく「デジタルで情報を扱うとはどういうことか」という考え方が一般レベルで普及しはじめている(あるいは普及させないとマズイという思いが広がっている)と言えるだろう。情報化の時代が、市井の人々においても一歩前に進もうとしているわけだ。そのこと自体を、まず喜ぶべきだろう。

更に言えば、情報技術に詳しい人も、最先端の情報を開示して悦に入るのではなく、今生きている人の情報技術のレベルに合わせて、適切なアドバイスを行うことを一つの指針としていった方が良いとは言える。専門家から評価されることも大切だが、技術の普及にはもっと泥臭い活動も必要なのだろう。

それはそれとして、本書の以下の記述は極めて示唆的であった。

以上のように言いつつも、実は、私自身が、「捨てなければならない」という強迫観念から完全に脱却することができないでいます。

「捨てなくてもかまわない」と説く本の著者ですら、「捨てなければならない」という心の声を抹消できているわけではない。こうした本では、著者はあたかもそのような葛藤など何一つ持たないかのように語っていることが大半だが、人間はそういう生き物ではないのだ。過去の自分の声があり、それと付き合い、ときにMuteしながら、新しい方法と向き合っていく。

新しいノウハウを伝える人間は、そうした人間のある種の「弱さ」(私はそれを弱さとは思わないが、とりあえず)に配慮すべきなのだろう。

その意味で本書は、私の情報技術環境にではなく、私の今後の執筆の方向性において強い示唆を与えてくれた。

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