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『AIの遺電子 6』(山田胡瓜)

あいかわらず面白いのだが、印象に残ったお話が二つあった。一つは「第56話 漫画家」で、自分も曲がりなりにもクリエーションの現場にいるから、ちょっと真剣に考え込んでしまう。ストレスによる脱毛症に悩む漫画家が冒頭に登場するのだが、彼女の悩みは、AIのクリエーションである。私も、たぶん同じ悩みを抱えるだろう。AIのクリエーションが自分のものよりも面白いのなら、別段悩むことはない。自分よりうまい人間はいくらでもいる。しかし、AIによるクリエーションが「自分とまったく同じだ」と言われればどうか。そこに「倉下さんらしいですね」という評価が与えられたらどうか。たぶん、私のアイデンティティは強く脅かされることだろう。超越されるのは構わない。同じ場所に居座られるのが嫌なのである。それこそ、根源的に自分自身の存在意義を失ってしまう。

もう一つ面白い話が「第61話 Post-truth」で、タイトルが現代風刺なわけだが、語られる物語はおぞましく、『1984年』的でもある。当人が満足であるならば、ウソを真実としてしまうことに善性があると言えるのだろうか。本作ではそこに多少のほころびが示されるのだが、もし、そんなほころびが微塵も生まれないような完璧な「Post-truth」があるとき、私たちはそれに屈服し、試験官の中で生きていくことが幸せなのだろうか。それが「人間の条件」なのだろうか。これはニュースが正しいかどうかよりも、さらに込み入った問題であることは間違いない。
 

AIの遺電子 6 (少年チャンピオン・コミックス)
山田胡瓜 [秋田書店 2017]

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