0

小さなあまたの書店

次の記事を読んだ。

Amazonと書店の共存は可能なのか? | 鷹野の出版ニュース&ブック解説 | シミルボン

前半では、独立系書店(特にアメリカのそれ)が持つ提案力とAmazonの販売力のコラボレーションが指摘されている。

アメリカで独立系書店のシェアはわずか8%。2100店舗程度しかないのに、彼らはそこへプロモーションコストのほとんどを投下するのだそうだ。独立系書店で売れると、Amazon やバーンズ&ノーブルといった大手書店が目をつけて仕入れるようになる。つまり、独立系書店の役割は、まだ売れていない本に火をつけることなのだ。

これはこれでいい話なのだが、最後二段落の著者の視線は厳しい。

第一に、日本の書店にもこれが可能だろうかと問いを発し、それは難しいだろうと断じる。理由は書店の取次依存体制だ。「配られた本をとにかく売る」という考え方では、上記のような火のつけかたはなかなか難しいだろう。問われているのは、目利き力であって、営業のうまさではない。

とは言え、粗利が小さい書店経営において、それほど目利き力があるスタッフを多数抱えられるのかは別の課題としてあるだろう。つまり、取次制度を廃止すれば、それで物事が万事解決するわけではない、ということだ。もちろん制度がなくなれば、書店員は目利き力を上げていくしかないわけだが、その道中は混乱するだろうし、持ちこたえられないところは閉店を余儀なくされる。体力のない書店ならば特にそうだ。それをスクラップアンドビルドとして積極的に肯定することもできるが、慎重な判断は必要だろう

第二に、出版社にも目が向けられている。簡単に言えば、出版点数が多すぎるのではないか、という問題だ。数が増えれば、一冊あたりに目配せできる時間は減るし、店舗に陳列される期間も短くなる。このような状況において、書店(書店員)が価値を掘り起こすのは不可能とは言わないまでも簡単ではない。

だったら、出版点数を減らせばいいのかというと、自転車操業で持ちこたえているような出版社はすぐに厳しくなるだろう。そうしたものを「構造改革の痛み」と切り捨てられれば楽ではあるが、物事はそう簡単には進まない。

結局、問題は構造的に絡み合っている。

本が売れにくい環境→出版社が厳しい→出版点数を増やして自転車操業を回す→本がたくさん増える→取り次ぎがないとやってられない→書店に大量に本が送られてくる→並べるだけで精一杯→どこの本屋でも似たような品揃え→本が売れにくい環境

見事に悪循環だ。さらに、水増しされた出版点数は、書籍の平均的なクオリティを下げかねないので、それがさらに本が売れない状況を引き起こしている可能性すらある。

全体的にみれば、どこか一つを変えれば済む、というわけにはいかないのが現状だろう。ある日突然、日本人の大半が今よりも積極的に本を読むようになったら、これまで通り関係者はニコニコして仕事をしていけるだろうが、どうやらそういうことは起こりそうもない。逆に言うと、現在の出版業界は、日本人の読書量が生み出す経済規模に比べて大きすぎるのだ。こればかりはどうしよもない。読書量を増大させられないのなら、リストラクチャリングによる縮小が、市場原理において導かれる結論である。

なんだか暗い話になったが、別段そういうわけではない。

現状の構造がどうあれ、書店からベストセラーが生まれていることもある。私が知るのは『思考の整理学』だが、他にも例はあるだろう。ただし、現状そうしたヒットの絶対数はそうとうに小さい。底上げが必要だ。

それを補うためなのか、本屋大賞といった販促活動も行われているが、結局注目されるのは数冊の本だけであり、既存のプロモーションとの大きな違いは見いだせない。全体がWin-Winになるのは、「その店独自の価値提供(価値発掘)」があり、それが起点となって、全国の書店あるいは出版業界の売上げアップとなる形だ。そうなったとき、いわゆる「集合知」が活かされることになる。

全国の書店の数が十分に多く、それぞれのお店が本の価値を発掘するならば、出版点数の多さもある程度はカバーできる。なのに、もともと一律で本を全国で売ろうというのは、必要な動きと反対であろう。必要なのは多数決ではない。それはAmazonに任せておけばいい。必要なのは、こだわりであり、言い換えれば独善なのだ。

スムーズに着地点を考えるなら、「目利き力がある人が、規模の小さい書店をこだわりを持って経営する」となり、ようするにブックセレクトショップに落ち着く。日本のカジュアルウェアの売上げは、ユニクロなどの大手と、多数のセレクトショップで構成されているだろう(単なる予想だが)。書店の売上げも、そういう形に移行していくに違いない。書店の大型化は進みつつ、一方では新しい小さな書店も生まれつつある。

片方では、依然取次の存在は重要になるだろうし、もう片方ではそうではなくなるだろう。その際、書店と出版社の関係は、もう一度再構築される必要があるのかもしれない。

どうであれ、一つのことは念頭に置いておきたい。縮小しているとは言え、それでも__このデジタルメディア時代でも__人は本を読むのだ。言い換えれば、本を読む人は厳然と存在している。まずは、それを出発地点とすべきだろう。

▼参考リンク:
冷やかな頭と熱した舌|webちくま

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です