第二号脱稿後の座談会その4

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Tak. どちらが書きやすい書きにくいということはとはありませんでしたが、前回は「知的よ、サラバ」を受けて書くということだったので、その分フローがすでにあって、そこにどう乗っかるかという感覚がありました。その意味では、前回の方が自分の中の「放っておいたら出てこないもの」が出やすかったかなという気がします。普段の自分のフローから離れざるを得なかったので。

今回は、いっきさんも言うように他の人の記事とのバランスがどうなるかということがあったので、場合によってはいったん書いた記事を取り下げて差し替えるということも考えていました。ただぼくの場合は(最初の方でも書きましたが)途中からインタビューとの関連が出てきたので、むしろそっちとつなぎつつ「道具」と「動機」をどう処理するかという感じになりました。

ちなみに誰も覚えてないと思いますが、当初はもっと純粋な?「道具&動機」記事を考えていて(「書くことをドライブする書かれたもの」)ノートだけ作ってありました。これは「自分でも何か書きたくなる他人の文章」についての話。

事前にフローがあってそれに合わせるパターンと、フローなしで始めるパターンを交互にやるというのもありかもですね。ただし、前回も起点となった倉下さんの記事が決まる前段階に膨大なブレストの蓄積があったことは忘れてはいけないなと。

Hibiki Kurosawa 一号と二号とで、どちらが書きやすいということは、私もありませんでした。どちらの号も、ずっと以前から胸にあったテーマを、偶然にも、そのまま使うことができたためです。

自分が書いている横で、他の方の原稿が進んでいく様子は、多かれ少なかれ、私も目にしていたつもりです。私は、自覚できるほどには、自分が影響を受けていると感じることはありませんでした。できる限り、周囲から影響を受けようと思って、私は生きているつもりです。ひょっとすると、影響を受けにくい質なのかもしれません。

書く文章が変わるほどの影響を受けるためには、少なからず、手間が要ります。私の感覚です。よいと感じたアイディアを、名刺サイズの情報カードに書き出して、時間をかけて、自分なりに吸収する、手間です。できるだけ周囲から影響を受けたいというのは、この手間を惜しまずにいたい、という意味です。

かーそるらしいといいますか、雑誌の雰囲気に調和した文章は、論理的にいうと、私からは提出されていないことになります。もし、少しでも調和している部分があるのなら、本当に、嬉しいことです。私の無意識によるもので、論理的ではないからです。

それから、二号の新しい試みについてです。話が戻ってしまい恐縮です。インタビューと「ひびきあい」のことです。率直に、素晴らしいと感じました。「ひびきあい」がブログ記事の紹介に留まっておらず、とてもよかったのは、皆さんも書かれている通りです。

どちらも、textdataStockのノートブックにある頃に、個別の記事として読んでいるうちには、今ほどの感動はありませんでした。もちろん、個々の記事として素晴らしかったのは、言うまでもありません。

大きな感動があったのは、原稿が出揃って、全体の流れの中で、インタビューと「ひびきあい」を読んだときです。何といいましょうか。妙な表現ですが、雑誌みたいだ、と思いました。同時に、そこに自分が参加できていることを、とても嬉しく思いました。

おそらく、私は雑誌が好きなのだと思います。発売されたそれぞれの世相の、いちばん先端にカーソルを当てているからです。

その5につづく)

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