第二号脱稿後の座談会その2

前回:第二号脱稿後の座談会その1

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るう 外の読者からの反応、と言うのは確かにしっかりと実感しました。Lyuさんだけでなく、あの、参加者ですら怖気付くような長い本文を(笑)、ひとつづつ丁寧に、舐めるように読後感をコメントしたくださったかたが少なからずいらしたという事実は、想像以上に驚きと嬉しさを与えるものでした。

リアクションの数としては、参加者個々のヒット記事の何十分の一かもしれないけれど、商業誌を購入いただき、あそこまで読んでくださる人がほんとにいたんだ!という事実は、漠然とわかっていたことではありますが、しみじみ、参加できて良かったなぁと思いました。まあ、私が参加してなかったら、きっと今回の読者さんと同じような反応をしたと思うんですけどね(笑)

雑誌の中の雑多というのは、みんな知ってる人たちの、それぞれのブログ記事をそれぞれ見るのとはまた違った良さがあるんだよなぁと、2号になって益々感じています。

いっき 私とるうさんの “道具編” の『道具』の守備範囲がどっちも総覧型の記事なのに全然違ってたり、GoさんとHibikiさんの原稿の間で “シンプル” という単語に纏わっているイメージが違ったりとか(でも、日本語のゆらぎの範囲から考えたら全然内側で)、動機編なら、choiyakiさんが「得意じゃないのに続けている」と書く一方で、私は「得意だから」ということを書いていたり、とおして読むと、すごい揺さぶり感がある。本当におもしろい。

『書く』なんていう、狭いテーマの中で、よくぞここまでフィールドが散ったなあ、という。

go いっきさんやるうさんのいう、この雑誌のいい意味での「雑多」な雰囲気を読者に届けることは、この『かーそる』の目指すところのひとつと考えているのですが、みなさんはいかがでしょうか。

倉下さんが別にも何度か書いていますが、『かーそる』のつくられるプロセスの特徴は、書いている途中の原稿を共有しながら、おたがいに原稿を書いていくことだと感じています。

これは、当事者には結構しんどいプロセスでもあります。あ、考えていること書かれちゃった(しかも上手に!)、とか、こんな文章自分には書くことできないとか。あと、ぼくは影響されやすいんで、つい似たことを書きそうになっちゃうとか。

そこで、どっこいしょとひと踏ん張りすることで、それまでの自分では書けなかったような文章を書くことができるというのが、ほんといいことだなぁと感じたことが1号でもありましたし、2号では執筆期間が長かったこともあり3回くらいありました。

あと、他の人の執筆途中の原稿がトリガーになるということも、おもしろかったと思ってます。今回はTak.さんの「雑多」の途中原稿を読みながら、あぁいいこと書くなぁ、ぼくには書けないなぁと思いながら、じゃ自分が書くとしたら何が書けるかなと思いながらつくったのが「シンプル」でした。

「雑多」というのが、いわゆる雑多ではないけれど、やはり雑多であり、だからこその良さがある。Tak.さんが雑多にある良さを見せてくれたように、シンプルの新しい何かにちょっとだけ迫りたい..。

で、もうひとつぼくの中に生まれた、ちょっとだけメタなアイディアは、こういった執筆のきっかけやプロセスが見えるような雑誌にできるといいなぁというものです。「シンプル」はその部分を目指した記事でもあります。

その3につづく)

2 件のコメント

  1. ピンバック: 第二号脱稿後の座談会その1 – Project:かーそる

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